2006年6月28日 (水)

サポートする側をサポートすること

ロブ(以下、R):自殺問題に限らず、ケアする仕事全般に欠けている意識として、サポートする人をサポートするというものがあると思います。精神科領域で言えば、スーパーヴァイズになるでしょう。
 専門家の場合はカンファレンスなど様々な場で、悩み、問題などを開示することによって アドバイスを受けることができます。ただ、自傷癖者、自殺志願者の周囲の人間は精神科医やカウンセラーから対応について 聞いても、悩みを抱え込みすぎる場合があります。
 さらに、元自傷癖があった人、自殺志願者だった人が相談に乗って再発したり、同じ悩みを持つ人たちがピアカウセリングなんて美辞麗句に踊らされて、自助グループを作って、逆に悪化することの方が多いのではないでしょうか。
 そういう点を踏まえると、自殺対策基本法問題にも通じますが、サポートする人をサポートする制度が必要ではないでしょうか。

渋井(以下、S): ロブさんのいうように、自助グループに参加して、かえって、各依存の方法をみにつけたり、情報を得て、悪化した、との話を私も聞いたことがあります。とくに、自助グループは、匿名的な関係が保障されることが前提であることが多いですよね。そうしたグループでも、構成委員がケータイの番号やメールを交換してしまって、日常的にもつながってしまいます。そのような場合、日常的に引きづり混まれてしまう・ひっぱりあいをしてしまうことも聞きます。
 こうした問題は、専門職の人たちに見えないかたちで進行していきます。デイケア等の病院仲間という場合は、ある程度関係は見えますが、しかし、関係してしまったことによる相互作用は未知数です。いわゆる、ピアサポート的な感じになる場合もああったりしますが、そうでもない場合も多いのではないでしょうか。
 一方、自傷癖のある人、自殺志願者、また、その周辺層である、各依存症者たちの周囲の人たちは、いるだけで精神的に負担がある場合があります。たとえば、家族だから支えなければならない、とか、恋人だから一緒に乗り越えようとか。そう思えるうちは、サポートしようと思えるのでしょうが、そうした周囲のひとたちも疲れて来てしまいます。共依存だ、と言えばそうなのでしょうが、「共依存」と名付けたことによって解決するものでもないですよね。
 サポートする人とは、結局、ある問題を抱えた人について、その問題を一緒に解決しようとする周囲の人たち全般を指します。しかし、それが専門職であれば、仕事だと割り切れ、時間になれば終わることができますし、それが当たり前として認識されるべきでしょう。また、様々なグループでの活動であれば、うまくネットワークをいかし、役割分担をしていくことで、個人がかかえた問題は解消する方向にいくかもしれません。しかし、日常的にそうした人たちと接する人たちは、休みもありませんし、孤立する時間帯は必ずありますよね。でも、サポートする人をどのようにサポートできるのかってのは、難しい問題ですよね?

R:周囲の人間の苦悩の代表的なものをあげれば、介護鬱でしょうか。うちの母は、ホームヘルパーをやりながら、同居している父親の母親を面倒見ていました。去年の1月になくなるまでプライベートと仕事がごっちゃになってて、愚痴の電話が耐えませんでした。僕自身。サポートする側ですが、そのサポートをさらにサポートされることは個人的には考えたことはありません。
 でも、そうした意識が「慣れ」になって、サポートとして成立しなくなるときがあります。そういうことを減らすためには、サポートする人の精神衛生上、精神科や行政が、周囲の人間のサポートまで視野に入れた方が良いと思います。自殺遺族会、全家連みたいに大きなものじゃなく、もっと地域レベルでサポートする人の
援助が必要だと思います。
 サポートしすぎる人は、共依存でしょうね。だから、家族であっても適度な距離感を保たないと、人格障害なんかは巻き込まれてしまう。だから、適度な距離感、空気の読み方など、専門家のアドバイスもありつつ、実際にサポートする人たちが「こんな、我が家の秘伝もありますよ」とか話し合えたらいいなと思います。

S:「我が家の秘伝」って発想は面白いですね。
 ただ、ちょっと思うのですが、たしかに、依存する人を支えてしまう共依存の人はいるんでしょう。また、過度な干渉をしてしまうようなある種の人格障害の人とかもいますよね。しかし、共依存や人格障害なんか、普通の人たちは認識していない。普通に、ある人を支えたい、と思ってる。共依存や人格障害という名付けをすることで、相手との関係性を見直して、適切な距離をとろうとすることもあるでしょう。一方、名付けられたことで、それを正当化してしまったり、そもそも名付けて、「あ、そうなんだ」と思うだけの人もいるでしょう。
 多くの「普通の人」は、名付けと無関係に生きていて、ただ相手と一緒にいたい、相手を支えたい、と思っているんだと思う。そうした人たちに向けて、何ができるのだろうか。名付けることを意味を分かる人はいるでしょうが、そんなこと関心がある人がどこまでいるのだろうか。
 そうした「ごく普通のサポートする人」を想定するときに、いったい、システムとして何ができるというのでしょうか。治療的介入を拒む人たちにはどうすればよいのか。いわゆる、非援助という援助もあります。
 最近では、家族問題だけでなく、恋愛問題で、そうした距離感の問題を訴える人が増えて来ているように思います。恋愛論ブームは、そうした下敷きもあるんじゃないかなと思います。そういえば、ロブさんも、パートナーとの関係性は、恋愛から家族へと移行したと思うのですが、恋愛時代に、なにか感じましたか?

R:恋愛時代は、それ程援助ってしてなかったと思いますよ。救ってあげようという意識は、意外に薄かった。とにかく、自分の好きな人がどういう状況で、千差万別の症状を見せるのに対して、あまり構えないようにしてました。
 僕の先方は孫子が基本ですから。モグラ叩きゲームみたいなもんで、病気になって3ヶ月間は、いきなり奥さんの家族関係に切り込んでいくという大胆なことをしました。
 今思うと、「マニュアル化はできねぇな」と思います。自分で言うのも何ですが、サポートする人は相手が好きであるという状況から、共依存へ移行するのを自覚できません。この辺を自覚させるのは、専門家の領域でしょう。
 だからこそ、サポートする人の精神状態を支えるのは、むしろ何もしない方が良い。さりげない会話の中で、少しだけ聞いてあげるとか。僕は、メンヘルを知らない友人達に助けられてきたのは、知識がないからこそあえて、突っ込んだ話はしない点にありました。今まで通り、たわいもない会話ができる状況が、簡単にできる。サポーターをサポートすることだと思うんです。
 だから、周囲のまたその辺縁にいる人は、病気のことを記号だと思うくらいでいいんじゃないかと思いますね。渋井さんの言うように、「非援助」って考え方もあると思います。

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2006年5月10日 (水)

5月病

ロブ(以下、R):G.Wも明けて、新入社員、新入生には「5月病」と自己診断しちゃう人が増えて きますよね。この名称は、4月の環境の変化に伴って、5月頃から鬱的症状になる人が多いことから名前がついた一種の鬱状態のこと。もともと五月病は学生に多くみられるもの。厳しい受験勉強を勝ち抜いて、学校に入学。その緊張が連休などで解けてしまい、急激に気力を失ってしまうところから起こることが多い。
 しかし、最近では学生だけでなく、社会人でも多くの人が五月病に悩まされているようです。その原因は、転職する人が増えたことや、不景気で仕事が大変な人などいろいろ。
 とにかく、五月病は学生だけがかかるものではないということは確か。就職したての新社会人はもちろん、何年も勤めている人でも五月病にかかる可能性は否定できないみたいです。
 僕は、5月病には縁遠い人間なんですが、渋井さんはいかがですか?

渋井(以下、S):私も、フリーランスなので、現在は「5月病」とは関係ないですね。ただ、わからなくもないです。大学に入学当初、私は電話魔になりました。サークルの先輩とけっこう長電話ばかりしていました。まだ入会したばかりだというのに。イエデンだというのに、4月と5月は電話代が3万を超えました。
 そのため、電話代を安くするほうほうはなにかと考え、普通なら、通話時間を短くしようと考えますよね?私はそうしなかったんです。当時は東武東上線の若葉駅から徒歩10分ほどのワンルームマンションに住んでいました。電話の相手は都内が多かったので、「そうだ、都内に引っ越そう!そうれば通話時間が同じでも電話代は安くなる」と思って、上板橋駅から徒歩8分くらいのアパートに引っ越します。それだけ、当時の私には電話が大切でした。
 大学卒業後、私は長野県に住みました。新聞社に就職したのですが、当初は知り合いがほとんどいない土地でした。当時の彼女も長野県だったので、会うことはできましたけど、休みが会うことが少なく、コミュニケーションが仕事以外に少なかったので、ちょっと凹んでいました。
 ちょうど5月くらいかな、いまから考えれば、鬱傾向はあったと思います。その時点で精神科に通えば、抑うつと診断されたかもしれません。知り合いほとんどいない土地で、しかも仕事も慣れない。そして、生活も不規則。かといって、その頃は今みたいに飲み歩きという遊びもそれほどしていない。家の中で鬱屈していたのを覚えています。そのとき、その鬱屈のはけ口はまたもや、電話でした。ツーショットダイヤルにはまったわけです。

R:この時期ってのは、雅子様も罹患していると言われる「適応障害」に悩む人が多いんじゃないでしょうか。渋井さんも、大学も就職先もやはり、適応しようという力が必要以上に入っていたんじゃないかな。
 そうじゃなきゃ、鬱屈した気分にはならないでしょう。僕の場合、どこに行ってもそつなく入り込めてしまう器用貧乏なので(笑)、あんまり対人関係、環境で悩むことはないんですよね。
 どちらかというと、「自分の存在の不思議」という実存的問題が絡まってるら、5月病っぽくなっても、学生時代もあんまりこの時期に鬱っぽくならなかった。でも、相談メールは年末、3月、そしてこの時期には多いですね。あとは9月かな。でも、渋井さんは、ツーショットダイヤルで回復したってわけですか?

S:器用なんですか。それは外見的には、うまくやってるように見えるから、周囲には心配されないよね。私も普段はそうです。ツーショットダイヤルなんかやっているようには見えなかったと思いますよ。当たり前ですが、当時の彼女にも隠していたしね。
 電話やツーショットダイヤルだけでは回復しませんよ。さきほどの例で言えば、大学入学のことは、読書をすることで電話魔を抜け出した。当時は社会科学や哲学書(たとえば、『唯物論哲学入門』とか、『賃労働と資本』とかだったかな)を中心に、たまに、『子供たちの復讐』とか『開け!心が窓ならば』等のルポも読みました。法学部生だというのに、法律学はほとんど読んでないんですね。私の場合、そうすることがサークルの先輩とのコミュニケーションを促進したんです。
 就職した時にツーショットにはまったときには、塩尻市に住んでいた当時は、相手に会いました。ときどき、ゲイの人とも会うことになりますが。でも、それまでに電話代がものすごくかかる。だから、プリペイドカードを買ったりしましたが、それも飽きて、niftyのチャットに移行します。午後11時以降の、いわゆるテレホーダイの時間につなぎっぱなしでしたね。ネットを初めて、ホームページを作ったのもこのころです。とにかく、誰かとつながっていたかったんですよね。
 いずれの場合もコミュニケーションを促進することで、誰かとつながっていたいという欲求を満たしていたように思います。
 でも、いま、Yahoo!Japan!で新着特集があって、そこに「5月病を撃退! 心の健康特集」ってありますよね。抑うつ状態になったときに、人はこれまで、自分なりの抜け出し方を探したと思うんです。私の場合は、電話コミュニケーションやネットコミュニケーションですね。いまだとしたら、飲み歩きでしょうか。でも、最近はすべて、「心の病」とかに還元される傾向があると思うのです。斎藤環さんの本のタイトルにあるような「心理学化する社会」だと思うんです。ロブさんはどう思いますか?

R:「心理学化社会」は止まりませんね。臨床心理士も国家資格になるようですし。ただ、マスメディアが「病気の原因にはストレスが…」って言い過ぎなんですよね。そもそも、医学的にストレスのエビデンスってのはあんまりないし、どちらかというと俗語の部類です。うつ状態、不安も、肝臓の悪い人はかなり激しく出る。
 そういう臓器異常からの信号を精神状態がキャッチすることが多いのに、そういう観点から精神科医はあまり見ない。だから、神経症圏の病気が慢性化して心療内科・精神科クリニック乱立のサイコバブルになってしまった。
 実際に、この時期から精神科に受診する人は多いみたいです。自分で解決しようという内発性が子どもの頃からない人が増えてるんじゃないでしょうか。塾講師を始めて、小学生と接する機会が増えてからそう思うようになりました。これは、教育の問題ってより、親のしつけの問題ですね。

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2006年3月22日 (水)

ネット心中

ロブ(以下、R):今回は、ネット心中について話しましょうか。最新のデータとしては下記のようなものがありました。

 昨年1年間に、インターネットのサイトで知り合い一緒に自殺する「ネット自殺」は全国で34件(前年比15件増)発生し、91人(同36人増)が死亡したことが9日、警察庁のまとめで分かった。
 同庁が統計を取り始めた2003年(12件で34人が死亡)と比べ件数、死者数ともに約3倍に急増している。
 まとめによると、死者は男性54人、女性37人。年齢別では20代が38人で最も多く、30代が33人、40代が9人、10代が8人などの順。
 昨年2月には神奈川県三浦市の農道に駐車したワゴン車の中で男性3人、女性3人が練炭で集団自殺するなど、同年1−3月に20件(死者54人)が集中した。
(共同通信) - 2月9日

 この記事は数字だけ見ると、どんどんネット心中が増えている印象を与えますが、ネット集団自殺が初めて発生したとされるのが、2003年の埼玉県の入間市で起きた男性1人、女性2人のネットを介した集団自殺です。
 こういう記事を見ると、いかにも若者の自殺が増えているように思えるんですが、2005年の6月警察庁発表データでは、2004年の0歳から29歳までの自殺者数は、3836人、それに対して、40歳から59歳は12874人となっています。
 総数は32325人。自殺者数は、厚生労働省の発表と警察庁の発表者数が異なることが多い。でも、若者の自殺が増えているという事実はない。けれど、ネット集団自殺という言葉のイメージが若者の自殺者数増加という印象を強く与えているような気がするんです。

S:まず、厚生労働省と警視庁の自殺者数が違うのは、「自殺」の処理が違うからです。
 http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2740-2.html
 にもありますが、死体発見時に遺書がなく、死因が不明の場合、警察庁は、その後の調査で自殺とわかったらその時点で、統計上の数字になります。厚生労働省の場合は、「自殺以外」で処理。死亡診断書等について作成者からの訂正報告がないと統計に現れない。つまり、警察の調査によるか、医師の死亡診断書によるものかで、違いますね。
 さて、「ネット心中」という言葉はもともと2000年の、歯科医師とOLが自殺系サイトで知り合って、睡眠薬自殺をしたときに、読売新聞の見出しで使われました。いまの「ネット心中」は、ロブさんの言うように、2003年の入間市で起きたケース以降、模倣され、連鎖されたものを指します。
 「ネット心中」は、ほかにも「ネット自殺」と言われたりしますが、ネットを介した自殺という意味では、ドクターキリコ事件等のように、ネットで入手した薬物等によって死亡するケースと区別するために、私は使いません。芹沢俊介さんは「集合自殺」と言っていました。
 若者の自殺は急増はしていませんね。ある一定の自殺率を維持しています。たしかに女性に限ってみれば、03年の統計から、死因の一位が自殺というのは、「15〜34歳」までと、それまでの「20〜24歳」「25〜29歳」だけだった枠から広がっていますが。ただし、全体の数値としては「急増」というほどではないですね。手段の一位は相変わらず、「縊首」。首つりですね。ついで「ガス」になっています。
 それに、ネット心中は、若者だけではないですよね。昨年のデータでも、12人が40代以上です。

R:埼玉県熊谷市では、子どもと車の中で練炭を炊いて心中した事件もありましたよね。 「ネット心中」という言葉を産み出したのは、渋井さんの『ネット心中』だと思うんですが、元来、情死という意味合いの心中という言葉を、ネットを介した自殺に使った理由はなぜなんですか?


S:「ネット心中」は、昨年の新語・流行語大賞の候補作となりましたね。説明でも、「渋井哲也の著書」となっていました。でも、もともと「ネット心中」という言葉を産み出したのはマスコミですよ。「ネット心中」とか「ネット自殺」だとかを無自覚に、自然発生的に使っていました。
 私の場合も当初、最初は、「『心中相手募集』自殺事件」としていました(『創』 創出版 03年4月号)。しかし、その後、2人以上の人が同時に自殺するという辞書的には2番目の意味で使い続け、拙著「ネット心中」(NHK生活人新書)を出したことで、定着したんじゃないでしょうか。
 現在でもマスコミで使われることがある「ネット自殺」では、複数自殺の意味がない。また、集団自殺というほどの集団的意味付けもない。
英語圏のマスメディアにも、英語ではなんと呼べばよいか?と聞かれ、「double suicide」がよいのかと思ったんです。情死の意味が薄いですから。情死だと「lovers' suicide」ですからね。だから、「net - double suicide」としたいところですが、2人以上の場合もあるので、「net - group suicide」とせざるを得ませんでした。

R:英語圏では、情死という概念が理解しがたいものらしいですから。フランスなんかでも見ず知らずの人間が会って、自殺することなんかないし、出会い系サイトも、大勢で美術館に行くみたいな感じらしいです。日本で言えば、オフ会ですね。
 以前、渋井さんとお話ししたときに、僕が「感情の介在しない情報伝達のみのコミュニケーションがネット心中につながるのではないか」と言ったときに感情が介在しても、ネット心中は起きると言っていましたよね。
 その辺を、もう一度説明してくれませんか?

S:統計的な取材はしていないので、経験論になります。ネット心中のプロセスを考えると、1)自殺未遂の繰り返し、または発作的にネット心中を考える → 2)自殺系サイトのネットサーフィン → 3)「心中相手」を募集する。または応募する → 4)メンバーは偶然の選択 → 5)役割分担を決める → 6)メンバーとの打ち合わせ → 7)下見をする → 8)実行する、といった流れになっています。
 それぞれのところで、脱落者がでてきます。脱落する理由は、1>メールをするほどのエネルギーがなくなるほど鬱になる、2>自身の自殺願望が頂点に達して、一人で自殺への行動を起こす、3>メンバー内の好き嫌いが発生する、4>恐怖を感じる、などでしょう。また6)と7)と8)は別々の日ということもあれば、一緒の日にやってしまうこともあります。
 基本的には、すべてのメンバーが相手を「人間」ではなく、「自らが自殺するための道具」としての人間とみたときに、成功率が高くなります。そのため、原則的には感情を介在させないほうがネット心中は起きるのです。
 ネット心中を決めた人たちが、ネットで相手を決めてから、無感情にネット心中に向かうといったイメージもあるかもしれませんが、そのプロセスでは、やはり最後まで迷っている人もいます。
 その中でも、もっとも感情の介在があったほうが、よりネット心中へ近づく段階があります。それは、3)から4)にかけてのところで、お互いの悩みを形式的に話し、お互いが絶望感を抱いた場合は、よりネガティヴな感情が介在します。
 そして、社会心理学でいう過剰な自己関連づけ効果が起きることがあります。つまり、相手の一部の話を聞いて、自分と同一視するのです。「自分と同じなんだな」と。その場合は、相手を救うことは自分と同じように死ぬことなのだ、といった考えに導かれます。これは、リストカッターの話を聞いていて、これまでしていなかった人がリスカをしてしまう場合に似ています。
 ただ、その後もそうした自己関連づけが継続して、心の交流ができた場合は、悩みを打ち明けられる相手として考えるようになり、お互いの自殺を止め合うといった場合もあります。この当たりの段階になると、常に「自分も死にたい」でも、「相手は助けたい」、しかし「一緒に死んだ方がいいのか」などの感情がめまぐるしく変化することがあるといった証言もあります。

R:この自己関連づけってのは重要かも知れませんね。批判を覚悟で言うと、ネット心中に至ってしまう時の心理状況は、鬱だとは思いますが、それ以前に個人の資質として、他人の心の動きが読めないアスペルガー症候群的なものがあると思うんです。あくまで、アスペルガー「的」です。
 僕は自殺志願者を取材してて思うんですが、自殺行為を行う前の行動履歴などを聞いていると、視野が狭くなってる、視野狭窄状態になる以前も、かなり視野が狭すぎる。自分の気持ちをわかってくれない周囲に落胆しているけど、その前の自分の行動が、自己本位過ぎるときが多すぎると思うんです。
 もちろん、それを周囲がくみ取ってやるべき何だけど、それには限界があるでしょう? 原因を生育歴に起因させるのは簡単ですが、自殺に至る前の個人の資質、気質の問題は、 脳還元主義以外に見られない。自己関連づけの原因を多角的に分析しないと、ネット心中を減らすのは難しいんじゃないかと、最近、考えるようになったんです。
 

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2006年3月 8日 (水)

ひきこもり・フリーター・ニート

ロブ(以下、R):少し話題を変えて、ひきこもり・フリーター・ニートに関して話しましょうか。まあ、この問題は様々な議論がされていて、どのくらいいるのかというデータも契約社員もフリーターと換算するという方法も取られています。厳密に言わなくても、我々はフリーランスですので、フリーターの定義に当てはまるでしょう(笑)

渋井(以下、S):私は36歳です。厚生労働省の定義では、フリーターは34歳までなので、私は、フリーターではないですねが(爆)

R:ひきこもりやニートを精神科の治療対象や強制的な自立支援に参加させる風潮には疑問を感じます。要するに、正社員になることが必ず幸せになるという日本的妄想が、若者を苦しめた結果として、ひきこもり・フリーター・ニートが出てきたとも言えるのではないでしょうか。
 ただ、ニートに関しては、命名者の玄田有史さんが、社会的慣習とかいう言葉で定義づけていて、この三つがいつも「100万人と推定される」と識者たちが言うのには疑問が残るんです。
 渋井さんは、この問題についてどうお考えですか?

S:最近、フリーター・ニート問題に関する共著(仮題『サイレントレボリューション〜ITによる脱ニート・脱フリーター』、4月頃出版予定)を書いていて思ったのですが、そもそも、定義上のニート、つまり、働く意思もなく、教育訓練も受けていない(学校に行っていない)34歳までの若者がどれくらいいるのだろうか、って。
 ニート状態にあっても、たとえば、精神疾患があって休んでいたり、ニートとフリーターを繰り返したりしています。あるいは、就労していなくても、不動産収入や株の配当で収入を得ている人もいる。だから、どれくらいのニート状態にある人が「ニート」と呼ばれるのか、分からなくなったんです。
 しかも、ニート問題を語る上で、ニートたちの個人的な資質、やる気などが問題になることもあります。でも、フリーターやニートを生み出したのは、産業構造の問題であるはずです。たしかに、正社員になることが幸せかどうかという問題もありますが、経営側は正社員を少なくして、安価な、しかも流動的な労働力としてのフリーターを必要としているわけですから。

R:確かに、フリーターという言葉が人口に膾炙したのは、バブル経済崩壊前後の1990年前後です。終身雇用制に反対している若者がフリーターとか、いい加減なことを言う人もいますが、むしろ雇用形態の多様性が日本にはなかったわけです。
 パラサイトシングルなんかもそうですが、2007年定年退職大量発生問題で騒がれる団塊の世代がお金を貯め込んでるのだから、その余剰で子どもが暮らしても何ら問題はないんです。
 こういうことを言うと、「こどもたちが自分で稼ぐことを覚えなかったら、親が死んだ後どうする」と反論されます。でも、日本の現状を考えると、民主党が掲げる、「フリーターでも社会保障を受けられる社会に」という変換が、一番有効なフリーター・ニート対策だと思います。日本は、フリーランサーに厳しいですからねぇ(笑)
 ただ、ニート・ひきこもりは、精神疾患の可能性もあるのでその判別をできる精神科医の育成、診断基準の作成が急務でしょう。ただ、精神科の診断基準の作成は個別性があって難しいとは思いますけどね。
 だから、社会の雇用多様性に集団ヒステリーが起こってるから、この問題が注目されてるだけのような気もします。
 

S:ただね、フリーター・ニート・ひきこもり。これらの問題を考えるとき、きちんと整理する必要があると思いますよ。一緒にすると、混乱しませんか?
 まず、フリーターは、なんらかの理由で正社員ではない状況ですよね。産業構造の変化そのものがフリーターを生み出しました。産業側から見れば、正社員だけでなく、派遣労働やアルバイトを必要とした面があります。労働力を安く確保するためですよね。そして、働く側からすれば、正社員として働くことが重視という人ばかりでなく、趣味重視という人も出てきた。働き方の多様化・個性化ですね。
 一方、ひきこもりの場合は、精神的な問題として浮上してきました。いわゆる、閉じこもりの状態になっている場合ですよね。そして、ひきこもりにも濃度があるとは思いますが、典型的なひきこもり状態の人がどれくらいいるのかは未知数ですよね。そして、そうした状態の人のうち、精神疾患が理由ではない人たちを、斎藤環さんは「社会的ひきこもり」と定義しました。
 そして、ニートですよね。いわゆる、若者の無業者のうち、失業者でも、フリーターでも、学生でもなく、働く意思がない人たちです。もともとはイギリスの若者就労政策からの概念が、いつの間にか、日本では、フリーターの定義と同じ「34歳まで」と枠が広げられた。
 違った概念にもかかわらず、なぜか、「フリーター・ニート・ひきこもり」として一緒に語られがちで、しかも、「ひきこもり・ニート支援」として、支援する業界を生み出しました。ここに、不登校なんかも入ってくる場合がありますね。
 こうして考えるとき、私は、ひきこもりとニートがなぜ一緒に支援を受けるのか、よくわからないですね。たしかに、かぶっている人もいるかもしれませんが、質が違う問題なのに、って思います。

R:そうですね。一応、フリーターは社会的接点を持っている人ですし、ひきこもりでも広義な意味では、週に一回数時間程度アルバイトをしている。ニートに関しては、『ニートって言うな!』で内藤朝雄さんが精神分析的な視点から分析していますが、確かに、精神科医の笠原 嘉さんが名付けた退却神経症の方が良いかもしれません。
 これはひきこもりの心性にも当てはまるので、心的世界の分類はやはり
難しいかも知れませんね。でも、確かに、渋井さんの言う「ひきこもりとニートがなぜ一緒に支援を受けるのか、よくわからない」というのは同感です。ニートは病気という意味合いはほとんどないですからね。親からすると、「怠け者」で一蹴されてしまう。
 ただ、処方箋として、軍役を課すなんて議論もありますが、韓国では、ひきこもりが増えてきているという報告を見ると、軍役制が現実的なこの問題への処方箋たり得ないと思うのです。
 ならば、もっと自由な職業形態の選択があるということを、義務教育のウチから教え込む方が良いのではないでしょうか。正社員になることが、幸せなんて妄想を後生大事に、20歳近くまで持ってる方が、逆に現状を悪化させるだけだし、ひきこもり・ニート・フリーター差別意識こそが、大量生産の元凶となると思うんす。

S:ニートは若者無業者であって、即、失業者ではない。だから、労働市場の問題とはまた別だと思うんですよ。ニートは、就職活動してないし、就労意識もない。しかし、失業者は、就職活動をしていて、就労意識もあるわけです。その失業者の周辺にフリーターがいますよね。
 それに、同じ『「ニート」って言うな!』の第一章を担当した本田由紀さんによれば、本場イギリスでの「NEET」は、16〜18歳といった、ごく狭い若者の労働問題だったはずです。しかも、貧困や低学歴、人種的なマイノリティ等の「社会的排除」と結びついていた、といいます。しかし、日本版の「ニート」では、なぜか34歳までと広げられ、社会参加のしていない若者層といったイメージで捉えられる。そして、厚生労働省もフリーターの定義の年齢と同じにする。
 そこで、フリーターとニートがあたかも同じような問題であるかのようにイメージされてきたんじゃないでしょうか。そうした背景の中に、自民党の新人・杉村太蔵議員が、あたかも「フリーター・ニート」の代表であるかのように宣伝される。そして、頑張れば何かができるんだと。彼の場合は、頑張ったのは小泉さんですが(笑)。
 ちなみに、彼はブログ(060221)で、
 「(来年度予算に) ニート対策、フリーター対策という名目で380億円という金が注ぎこまれている。380億、これ全部国民の皆様の税金ですからね。そんなに金をかけなくても僕たちは自分たちの力で仕事を見つけるし、現に国がわざわざ税金を使ってやらなくても、既存の民間企業が様々なセミナーや就職情報を提供してくれています。」
 と書いています。ニートやフリーター問題を、個人の問題として捉えすぎですよね。完全に、マッチングの問題にしてしまってる。たしかに、マッチングは、フリーターの問題のひとつとして重要ですが、それ以上でも、それ以下でもないですから。
 精神分析的な「ニート」論は、その本田さんからすれば、ニートの多様性のひとつにすぎません。同書でも展開しています。そして「学生」や「正社員」、「主婦」を、いわゆる社会的な「安定層」として、「フリーター」や「失業者=求職型」、「(働く意欲はあるが、今は求職活動をしていない)非求職型」の「不安定層」、「(今は働く必要もなく、予定もない)非希望型」と「働く意欲がない」の「不活発層」に分けています。その「働く意欲がない」若者の中に、「ひきこもり」や「犯罪親和性」がある若者がいる、としています。
 この本田さんの分類と、内田さんの分析を加えれば、たしかに、ニート(本田さんの言葉で言えば、「不活発層」)の中に、精神分析の文脈で考えられる人たちがいることになりますよね。


R:イギリスのニートなんですが、そんなに本国で騒がれてるわけではないんですよね。あの国こそ、今の階級社会の原型で生まれた家の階級を変えることはできません。何十億も稼ぐベッカムも、ナイトの称号をもらっても労働者階級です。
 だから、イギリスからニートの概念を引っ張り出してくることに無理があったはずなのに、なぜかすごくニートって言葉が一般化し問題化しているように見える。ただ、実際は、そんなに問題なのかどうかっていうニートによる個人意識の調査ってのは行われていませんよね。
 これは、ひきこもりも『ひきこもりカレンダー』の著者である勝山実くんみたいな存在もいるわけで、そういう当事者側から声を聞く姿勢が行政や国側にはないような気がします。もちろん、ヒアリングはしている。ただ、ヒアリングの目的は働く意欲を持たせることにあるから、敏感な人間は、本音を言いません。
 僕も取材で何人か、ニートやひきこもりの人と会いましたが、「結局、僕たちを国は強制労働させたいんでしょ」と言う。その辺の、当事者と国や行政の意識の乖離の差を少しでも埋めない限り、社会に少しは実りがあるという意識は持たせられないんだと思います。
 社会に出ることはどんな意味があるのか?お金を得るためには、汗水垂らして働かなければならないのか?という疑問を彼らから投げつけられたときに、即答できる答えが見つかりませんでした。それは、生きる意味はあるのか?という問いと同義で、答え無きものではないかと思うんです。

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2006年2月22日 (水)

「オウム的な」私たち

渋井(以下、S):前回の最後で、ロブさんは、オウムとライブドアの共通点について言及しましたよね。両者は「脱社会的な存在」だったのではないか、と。私は必ずしも「脱社会的」とは思えないのですよね。
 オウムの場合、世の中のために何かをしたいと考えていたり、自分を見つめ直したいという思いが、多くの信者の出発点だったのではないかと思います。そうした多の信者の問題と、サリン事件を思考し、実行した人たちとは乖離しています。 
 ライブドアも同じように思えます。多くの社員はIT企業で働きたい、六本木ヒルズで働きたいといった、個人的な要素が大きいと思うんです。しかし、一部の幹部が粉飾決算などの違法行為をした疑いがあります(まだ、ここは起訴された段階なので、不確定要素は大きいのですが・・・)。
 また、オウムが国家の統治機構のような組織にしている点は、ある意味では、「社会的」であると思うし、サリン事件もその統治機構な組織を本物の国家の統治機構にしようとする発想があったとすれば、テロリズムであるので「社会的」あるいは「反社会的」な行為だったんじゃないか。
 ライブドアの場合は、オウムほど「大きく」はないけど、近鉄買収問題や新規参入の問題があっあたプロ野球にある種の談合的な業界に一席を投じたり、ニッポン放送株の取得からフジテレビとの業務提携に至る過程もテレビメディアのあり方について社会に疑問を投げかけた。それはたしかに敵対的M&Aをクローズアップさせた点では、 一種の「テロ」かもしれない。でも、組織作りの意味でもやていることの規模でも、ライブドアはオウムほど「大きく」ない。

ロブ(以下、R):ただ、若い世代に対する影響力という意味では、ライブドアの方が大きかったのかもしれない。もちろん、オウムは宗教団体だから、世代を超越した人々を影響下に置いていた。しかし、どちらも既存の価値観、日本的社会システムに「NO!」と言う人たちを巻き込んだという意味では同じ穴のムジナという感じがします。
 もし、両者ともにトップの人物が触法行為をしなければ、どちらも終身雇用などの日本的システムの壊し屋として手を組んでしまう可能性もあったでしょう。それくらい両者は相似形な気がします。

S:うーん、まだ私はライブドア問題をきちんと総括しきれていないので、何とも言えないですね。いずれにせよ、オウムは、その時代の生きづらさのはけ口の一つだったように思います。
 オウム信者たちは、多かれ少なかれ、「終わりなき日常」を、まったりとすごせなかった、ある種の「生きづらさ系な人々」だったと思うんですよ。その意味では、私も同一線上にありました。
 しかし、私は、宗教活動にも、政治活動にも、市民活動にも、それを打開するもの見いだせなかった。かといって、まったりすることもできない。「オウム的な」心性はあったにせよ、実際の「オウム的な」ものにはひかれなかった。
 さらに、援助交際や家出などの、わかりやすいアクティングアウトもできませんでした。曖昧な意味での自殺願望、あるいはリセット願望はありましたが、自傷行為などもしてませんし。時代はテレクラや援助交際の全盛期でした。私が大学生までは、漠然とした生きづらさを感じていただけかもしれない。
 なんらかのアクティングアウトができたのは、長野県で新聞記者をしていた頃でしょ うか。知り合いのいない場所だったし、寂しくて、ツーショットダイヤルやパソコン通信、インターネットにはまったりしましたから。
 ちなみに、長野県は全国で最後のテレクラ規制条例ができたのですが、そのとき、規制反対の連載記事を書きました(爆
 ロブさんはたしか、アクティングアウト(行動化。本人の心的葛藤や抵抗が、いわゆる「逸脱行動」等の言動に表れること)をしていましたよね?

R:アクティングアウトが激しくなったのは、大学2年から3年に掛けてですね。もう、思いだすのも嫌なくらいな大失恋をして、一ヶ月間、廃人状態でした。
 それで、「同じように壊れるのなら、どこまでも」という自暴自棄になって、違法ドラッグ、テレクラ、逆援交とどんどん自分を壊して行きました。まあ、オウム的な文脈で言うと修行でしたね(笑)
 どんな辛い状況においても自分が壊れないようにするのが狙いでした。ただ、逆援交で真剣交際になりかけたり、ドラッグをやって幻覚を見て、虫が見えると言いながら腕を切り裂きまくる人を見て、僕のアクティングアウトは沈静化していきました。沈静化というより、強制終了です。
 ドラッグは、かなり末期症状まで来ていたので、アパートのベッドに自分の腕を手錠をつないで、薬が抜けるまで二、三日地獄を味わいました(苦笑)。精神科医の名越先生に告白したら、「精神病院に入院した方が、絶対楽やったわ」と言われました。大阪で、アルコール、薬物中毒患者などを中心に診る精神科救急の先駆者的精神科医から見ても自我を保っているのはおかしいらしいです。
 まあ、そんな感じで、僕のアクティングアウトは完全に修行です。その後に、オウムの人たちと自分の類似点が見えてきたんです。
 でも、こういうのをアクティングアウトと言うんですかね?

S:かなり激しいアクティングアウトだと思いますよ(爆)。ただ、ドラッグをやって幻覚を見て、虫が見えると言いながら腕を切り裂きまくる人を見て、沈静化するのはなんとなくわかるような気がします。本当に壊れてしまうかもしれないですからね。でも、なぜ逆援交で真剣交際になりかけて、沈静化するんでしょうか?

R:駆け落ちを持ちかけられて、それを承諾するまでの勇気はなかったんです。ドラマみたいな勢いはないですよ。
 そもそも、考えながら行動する性分ですし、理性で衝動を抑えるのも一つの修行だったと思います。一方では、自分の限界を身を持って知ったから、僕のアクティングアウトは沈静化していったんです。


S:そうしたアクティングアウトが大失恋がきっかけというのはわかりやすいのですが、なぜオウム的なものにひかれたのに、たとえば新興宗教に向かうといったことはないわけですよね。オウム的なものと自分との違いはなんですか?

R:否、似ているでしょうね。犯罪レベルにまで手を染めてたんですから(苦笑)本当に紙一重だったでしょう。宗教に走らなかったのは、自分は無神論者だったというのが大きいかな。
 でも、僕の倫理的な部分では祖父母に教え込まれた仏教的要素が大きく支配してるから、僕が衝動的な行動を取る人間でなかったら、新興宗教に入信していた可能性もあったと思います。

S:衝動的な行動か〜ぁ。私もそうした衝動的な行動はたまにありました。そうした衝動によって、ちょっとした「反社会的な」行動にはなったとしても、「オウム的な」ものにはまらなかったってことなのかも。ガス抜きが必要ってことかもしれないですね。
 でも、いまの社会では、メディアやゲーム、ネット規制が強化されたり、夜間外出の制限がされたり、共謀罪(適用罪状はここ)導入されてしまうと、余計にガスがたまってしまいます。もしかすると、もう一度、似たような事件が起きてしまうってこともありえるような気がしてきました。

(060220までのメール交換)

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2006年2月15日 (水)

オウムの時代

渋井(以下、S):今回は、若干、「自傷」とは違った話をしましょう。オウム真理教(現、アーレフ)で揺れた、山梨県上九一色村が分村で消えてしまいますね。
 オウム真理教といえば、私が新聞記者時代、長野県木曽福島町(現在、木曽町)内の別荘に、公安調査庁が「介護班」と位置づけた施設があったんですよ。
 町は、ちょうど、町長選挙があって、「教団排除」を打ち出した共産党の候補者が勝ったんです。そのため、共産党の町長になってから、行政としてははじめて、町は立ち退きを求める訴訟を始めたんですよね。
 私は、木曽福島町の行政も担当していたんです。そのとき、担当の「総合調整室」室長に、「オウム信者には人権ないんですか?」とか質問したりもしてたんです。共産党は人権を大切にするんじゃないの?と。
 新聞記者を辞めた後も、木曽福島の件は気になっていて、「介護班」の施設に強制捜査が入ったときも、その後に月刊「創」の編集長や「人権110」の千代丸健二さんとともに、施設内に入って、関係者のインタビューをとりました。オウムのことは、フリーになって初めての仕事だから、思い出深いですね。
 ロブさんは、オウム真理教については、どのように感じていましたか?

R:僕は、オウムが起こしたサリン事件当時、19歳で一浪して大学受験したものの、全滅で死ぬか二浪目にチャレンジするかという極限の精神状態でした。
 今になって思いだしたんですけど、あの事件の新聞記事を、実家に二カ月分くらいファイリングしてあるんです。どうしてそんなことしてたのかよくわからなかったんですけど、森達也監督のオウム真理教のドキュメンタリー映画『A』『A2』を見て、「自分は、オウム信者に共感してたんだな」とようやくわかりました。何か、「全部壊しちゃえ」みたいな感覚は、それ以前からもあったのですが、あの事件で自分の中の不透明な心理状態がどんどん噴出してきた感はありました。
 こういうこと言うと不謹慎だと思われるかも知れませんが、2001年にアメリカで起きた同時多発テロのときも、「ああ、もっと壊してしまえ!」みたいな感覚でウキウキしてしまうんです。その感覚を整理してくれたのが、宮台真司さんの『終わりなき日常を生きろ』でしたね。
 処方箋にはならなかったけど、自分たちの世代がどこまで底抜けの感覚を持っているか再確認しましたから。そういう意味では、僕の人生の中でもメルクマークと言えるような存在が、サリン事件という存在でした。 


S:1994年の松本サリン事件のとき、私は新聞記者で、松本市の南・塩尻市に住んでいました。私は木曽支局の所属だったので、直接取材することはありませんでした。ただ、松本市にもネットワークがあったので、情報収集をしていました。「近く、県議会議員選挙があるので、ある候補者が対立候補者の家の近くで何かを撒いた」との情報までありました。
 しかし、第一通報者・河野義行さんへの犯人視報道に納得がいなかかったので、松本市内で、第一通報者の犯人視に抗議する市民集会に個人の立場で出席したこともあります。当時、所属していた「人権と報道連絡会」も共催だったような記憶がありますし、「週刊金曜日」の読者会つながりで知り合った人たちも、集会に来ていました。
 そこで、当時のTBSの下村健一さんとお会いしたりしました。下村さんとは、2004年の男女七人ネット心中発生の時、再び、お会いします。こっちが取材される立場ですが(笑)。
 95年の地下鉄サリン事件で、河野さんの疑惑がなくなっていくわけですが、そのときは、取材中で、ある村の総務課長と話していました。そのとき、テレビでニュース速報が流れたのを覚えています。
 その後、報道が、河野さん犯人視から、オウム真理教犯人視へと変化します。しかし、ずっと違和感がありました。犯人視の矛先が変っただけではないか?と。そうした疑問がある中で、河野さんをインタビューするチャンスが訪れます。
 河野さんが木曽福島町(現在の木曽町)の木曽高校に講演をしにきたときに、時間をつくってくれました。私はインタビューのとき、犯人視報道をした報道機関に所属する者として、個人的に「おわび」をしました。
 ただ、河野さんは言いました。「私を犯人にしようとしたのも報道だが、疑惑を晴らしたのも報道だった」と。そして、「判決が出るまで、犯人がオウムかどうかもわからない」と。私は複雑でしたね。


R:河野さんの報道は、酷かったですよね。特にテレビの報道を僕は見ていたのですが、 テレビ朝日のニュースステーションは、見切り発車みたいな形で、河野さんを犯人だと 断定するような報道をしていた。
僕も、「河野さんって人が、サリンの実験してたんだ」と 思い込んでいました。ただ、得体の知れないオウム真理教の人間たちの心性が自分と似通ってるなんて、松本サリン事件ではわからなかった。 


S:オウム真理教の主要メンバーは、私よりも若干、上の年齢の人たちでした。私がその存在を知るのは、大学一年のときです。同じサークルの人がオウム真理教の信者で、誘われたりしました。当時、大川隆法などの新興宗教が社会問題となっていたときでした。たしか、「麻原彰晃研究会」がサークルにあったような。
 で、同じサークルの彼と、よく議論しました。彼は「修行すれば何でもできる」といつも言ってました。彼の望みは「空を飛びたい」。文化祭で発行するサークルの刊行物があるんですが、そこにもその思いが書いてありました。
 彼は、オウムに入れば、「こんなことができる」「あんなことができる」ということを言っていたので、「ここでやってみろよ」と他の友人とも言ったんです。すると、彼は「いまは修行中だからできない」を繰り返しました。
 しばらくすると、オウム真理教が「真理党」を結成して、1990年の衆議院選挙に出馬します。候補者の名前が、ホーリーネーム(出家名)だったので、当時、話題になりましたよね。面白くて・・・(苦笑。しかし、一議席も獲得できませんでした。このあとだったと思うのですが、同じサークルの彼が、行方不明になるのです。
 のちに、大学卒業後、イギリスに遊びに行く時に成田空港で買ったスポーツ新聞に、オウム・シスターズのひとりとともに逮捕、との記事が載っていました。記事には「建設省幹部」とあったので、出世したな、と思う反面、マンションの駐車場に無断で侵入した「非建造物侵入罪」が罪状だったので、「オウムなんら、なんでもありか」と思ったことを記憶しています。
 私は1969年生まれですから、いわゆるノストラダムスの大予言の世紀末・1999年のときはちょうど30歳になります。「30歳」の意味はないですが、なぜか、世紀末を意識させる区切りとして頭の中にありました。世紀末思想を信じていたわけではないですが、なぜか区切りの意識が潜在的にあったんじゃないかとは思います。
 しかし、何かをやってあげようと新興宗教に入るほどのエネルギーは私にはありませんでしたし、どこかの政党に入って、政治改革や革命を思考しようとするほど、信頼おける政党やセクトがあったわけでもない。かといって、市民運動もそれほど成熟していない。その「区切り」に向けて、なにかうずうずしたものがありながらも、何もできないでいました。
 ただ、私は、ロブさんが言うような「全部、壊してしまえ」という発想はなかったですね。「エヴァ」のシンジ君で言えば、「みんな、死んじゃえ」ですかね?(爆)。そこまで言語化されなかった。
 私は98年に新聞社を辞めるのですが、それは衝動でした。「どうにでもなれ」的な。それは、たしかに時代的な行き詰まり感もありました。それと同時に、このまま長野県にずっといるのか?と思うと、急に不安になったんです。
 長野県という地理的な意味でも不安もありますが、それよりも、ここが私にとって最良の地ではないと思っていて、「ずっとここにいる」といった感覚がいやだったのかもしれないですね。

R:サリン事件後に、オウム真理教元幹部の上佑氏がテレビに頻繁に登場し、「ああ、言えば上佑」なんて言葉も生まれました。マスコミは、彼のディベート術を賞賛するだけでなかなか手出しできなかった。
でも、彼が事件に関与していたことがわかると急に手のひらを返したように、オウム真理教を責めだした。そういうマスコミ全体の急激な態度の変化に、何の疑問も持たない日本人はなんだろうなとも考えました。
 ライブドア事件を、サリン事件にたとえる人もいます。確かに、ライブドアの構造は、事件当時のオウム真理教に似ているかも知れません。ライブドアは、日本の保守的な株式市場からはみ出した個人投資家の欲望に適合した企業として特異な発達を遂げた。
 オウムが1990年代前半の脱社会的欲望を集めたように、ライブドアは2000年代前半の脱社会的欲望を集めた。そして、オウムもライブドアもそこからの革命を夢見た。麻原が選挙に出て失敗したように、堀江も選挙に出て失敗した。麻原も堀江も一部知識人に支持された。
 ただ、マスコミの体質も何も変わってないことを露呈した気がするんです。

(060220、メール交換にて)

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2006年2月10日 (金)

自傷調査記事をどう読むか?

R:2月6日の毎日新聞夕刊に、『魂の声 リストカットの少女たち -私も「リスカ」だった』の著者、小国綾子さんが興味深いデータを記事に書いています。

自傷行為:「数増え相談時間ない」悩む学校 初の実態調査

 刃物で自分を傷つける「リストカット」などの自傷行為について、学校内で深刻な状況になっていることが6日、国立精神・神経センター精神保健研究所の松本俊彦医師らのグループの調査で分かった。リストカットは中高生の間で目立ち始めたといわれていたが、国内での実態調査は初めて。学校現場も対応に苦悩している。【小国綾子】

 調査は神奈川県内の私立女子高(1校)の2年生126人と、公立中学校(同)の2、3年生477人を対象に04年に行った。「これまでにナイフなどとがったもので身体を傷つけたことがあるか」などの質問に無記名で回答してもらった。

 その結果、女子高生のうち14.3%が1回以上自傷しており、10回以上が6.3%に上った。中学生でも女子生徒238人のうち9.3%、男子生徒239人のうち8.0%が刃物で自分を切ったことがあった。また、「頭やこぶしを壁などにぶつけたことがあるか」との質問には、中学、高校合わせて男子の27.7%、女子の12.2%が「ある」と答えた。

 自傷の理由については、言葉にできない孤独や不安、怒りなどの感情から逃れるためだったり、助けを求める表現などさまざまだ。

 学校現場も対応に追われている。首都圏のある公立中学校では昨年、3年生の間にリストカットが突然広まった。最初は数人だったが、その後続発し、200人足らずの3学年の中で学校が把握しているだけでも20人を超えた。何人もの生徒が次々に「切っちゃった」と保健室を訪れる事態になった。

 保健室で手当てした養護教諭は「片手で生徒の手首の手当てをしながら、もう一方の手で別の子の手を握り締めたこともありました。手首だけでなく手の甲に十文字に切るグループも現れました。誰もがみんな自分の苦しさに気付いてもらいたがっているようでした」と振り返る。

 現在、中学や高校の養護教諭たちによるリストカットの勉強会も各地で開かれるようになった。だが、「自傷者の数が増えて、一人ひとり話をじっくり聞く場所と時間を確保できない」「毎日、生徒に手首の傷を見せられると教師の側も苦しく、精神的に負担だ」「学校は家庭にどこまで踏み込めるのか」など悩みはつきない。

 「夜回り先生」で知られる元定時制高校教師、水谷修さん(49)にも自傷の相談が多数寄せられている。中には、東北地方の中学校の女子バスケットボール部では、顧問の教師が1人をしかった後、部員全員が「私のせいでしかられた」と自分を責めて自傷したこともあった。

 松本医師は「自傷による受診者の増加は医師仲間からも聞く。人間関係の苦手な子たちは身近に自傷している子を見ると、仲間意識や所属意識を感じるために切り始める面もある」と指摘。そのうえで、「『苦しいんだね』『切りたくなったら言ってね』と共感の言葉を伝え、相手にも言葉で苦しみを表現する機会を用意してやり、気持ちを受け止めてやってほしい」とアドバイスしている。

 

 同じような調査では、1月22日の朝日新聞朝刊に鹿児島大学心身医療科チームの自傷に関する調査が載っています。その記事は、幼少期の精神的暴力が自傷行為の危険因子を9倍にするというものでした。
 昨年の夏には、奈良県の養護教員の聞き取りをした調査もありました。奈良教育大の調査でしたが、クラス全員が自傷行為の経験があるとの報告もあったそうです。
 こういう疫学的な報告は、今までの現状を考えると、精神医療側を中心に問題意識が高まってきたとも受け止められます。
 ただ、僕の印象では、自傷行為の原因は複合的で、そういう視点からの調査、分析が必要であるように思います。こうやって自傷行為だけがクローズアップされるのは、木を見て森を見ずという感じがします。

S:この調査の記事は読みました。あと、東海女子大の長谷川博一さんの調査もありますよね。それは地域的な調査ではなく、大学生への調査でしたが、女子の13人に1人がリストカットの経験がある、というものでした。
 ロブさんが言うように、自傷行為の原因は複合的です。親子関係、メディアの影響、社会的な自己のイメージ、性格、友人関係などなど、なにかひとつだけをとりあげて、原因をしぼることはできないと思います。私も取材経験からそう感じます。
 この調査で、ちょっと疑問に思ったのがいくつかありまして。ひとつは、なぜ調査対象の高校が私立女子校1校で、中学が公立1校だったのか?ってことなんですよね。高校でも公立や私立、または共学か女子校かに、あるいはその高校のランクによっても傾向が違うと思うんです。
 私の取材実感でも、私立で女子校で、中堅より上位のほうが自傷行為の経験が多いように感じます。だから、高校での調査は少なくとも、公立を加え、私立も多様なランクでやったほうが何かが見えてるような気がします。この調査だけですと、「ああ。女子高生の間では流行なのね」だけで終わってしまい、どんな高校生に多いのかが分かりづらい。


R:確かに、自傷行為の調査は、ひきこもりと比べても母集団が少なすぎると思います。 あと、どのような質問形式で調査をしているのか公表して欲しいですね。確かに、自傷行為の比率は女の子の方が高い。しかし、それを裏付けるためには、性差の区別がない調査が必要だと思います。
 それと、中高生が多いというだけで、小学生の調査を行っていないのも問題です。最近は、小学生高学年でも自傷してる子どもも多いし、中高生も初めて自傷行為をしたのは、小学生という人が僕の取材経験やHPで行っているアンケートから多いように思います。


S:たしかに小学生という人は私の取材でもありました。中には、幼稚園という人もいましたからね。気がついたら切っていたという人のなかには時期を特定できないときもある。逆に大学生や社会人になってからという人もいますよね。
 あと、この調査ではなにをもって「自傷」とするかが曖昧なのかもしれません。1回しかやっていない「自傷」は、ある意味、その場の衝動だけで問題にならないように思います。注目すべき「自傷」は、何度も繰り返してしまう「嗜癖」としての「自傷」なんじゃないかと思っています。
 たとえば、記事によれば、質問項目に「頭やこぶしを壁などにぶつけたことがあるか」というのがあります。それだけなら、「嗜癖」としての「自傷」ではない場合も多いのではないでしょうか?
 よく、喧嘩したり、いらついていたり、失恋したりしたときに、壁に拳をぶつける人いますよね?笑。そうした自傷は、問題ではない範囲ではないか。結果でも男子の方が多くなっていますが、そうした一時的衝動でやってしまうのは男子が多いと思いますよ。


R:「自傷」の定義づけに関しては、誰も精神科医がしていませんよね。頭や拳をぶつける自傷行為は、気分変動の激しい中高生なら、経験のある人はかなり多いはず。むしろ、「ない」と答える人の方が問題あるように思えるほどです。
 僕が自傷行為で問題だと思うのは、自分の身体を傷付けることでしか、苦しみ、怒りなどマイナスの感情表出ができなくなる状態です。こういう自傷行為を恒常的に行っている人は、何らかの精神疾患に罹患してる可能性も高い。
 ただ、児童思春期精神医学の基準で考えると、必ずしも精神疾患と診断できない場合が多くなっているとの指摘もあります。この辺の区別が、精神科レベルでできるようにならないと、なんでもかんでも「自傷行為」に含まれてしまって、医者が患者を作るという状態につながってしまうでしょう。


S:調査責任者の松本俊彦医師のコメントで、「人間関係の苦手な子たちは身近に自傷している子を見ると、仲間意識や所属意識を感じるために切り始める面もある」というのがありますよね。
 こういうのは、社会心理学でいう「感染」でしょうね。インターネットでもよくこうした現象は見られますよね。もともと自傷をしていなかったが、ネット仲間に過度の共感して、自分も自傷を始める人がいます。
 また、そのときは自傷する感じではなかったが、自傷をしている相手とチャットやメールをしていて、自身も感情的な感染が起きて、自傷をしてしまう。


R:僕の本を読んで、HPの掲示板の書き込みを見て、自傷をしたという人も多いですからね(苦笑)感染、もしくは仲間外れにならないためにという感じで、自傷をしてしまうことはよくあると思います。
 ただ、そこで「やってみたけど、すっきりしないじゃん!」という感覚を持って、一回でやめる人も多い。もちろん、仲間意識を持ち続けるために、何の意味もなく自傷し続ける人もいます。
 一方で、感染というレベルでは、「ああ、すっきりした」という感覚だと思います。こちらは、ヤバい。もう、僕や渋井さんに相談したり、ネットで情報収集をして、自分で自分の人生を悲劇のヒロイン的な方向へ収斂させていく。


S:そういえば、こうした現象を精神科医の斎藤環さんは指摘していたことがあります。自助グループでは、自傷の程度が重い人は共感しあって、抜け出すこともあるが、軽い人たちはかえって抜け出せなくなる、と。
 感情的なコントロールができないから、自傷行為というアクティングアウトをするといった面もあると思うのですが、目の前に自傷をしている人がいれば、様々な感情が湧くと思うんですよね。相手のことを「かわいそう」と思ったり、相手の辛さを想像して、感情的な感染をしたり。
 あるいは、自傷の方法を学んでしまうこともあれば、ほかに自傷をしている人がいるのだから、わたしだって、自傷をもっとやってもかまわない・・・などと。
 たしかに、私は自傷行為それ自体を「悪」とは思いません。しかし、自傷行為をしているときには、その人は周囲の人たちに「過剰適応」だったり、人間関係に支障があったりします。
 そうした面があって、「生きづらさ」を感じ、そのはけ口として自傷行為をしているのなら、全体として生きるのが苦しい。そういう意味では、自傷行為を放置はできない。かといって、事情をよくも知らずに止めるわけにもいかない。
 記事にあった「苦しいんだね」というコメントは微妙だと思うんですよ。なぜかといえば、よく話を聞いていないときに言ってしまうと、「コイツなにも分かってない」と思われてしまいます。
 逆に、十分に聞いた上で言うと、「この人は何でも分かってくれる」と思われて、過度に依存される可能性があります。話を聞く側がどの程度、その覚悟があるのか、によると思うんです。そのほかにも、話を聞く側のコツがいろいろあると思いますよね。

R:この記事を読んで、「苦しいんだね」っていう言葉をマニュアル的に使ってしまう人は多いでしょうね。でも、どんなマニュアルだって、文脈や場の空気に合わせて変形させなければ、相手を余計に傷付けてしまうことも多いでしょう。
 僕の場合、相談される場合、前提条件が高いので、臨機応変に言葉を選びますが、メールの場合は非常に短い言葉で返信せざるを得ない場合が多い。それに、「がんばれ」とか叱咤激励の言葉は禁忌みたいに思われていますが、状況によっては使った方が良い場合があります。
 それと、自傷してる人を救いたいという周囲に人間は、その人自身も巻き込まれる心性を持っていることが多く、ミイラ取りがミイラになる可能性が高いように思います。
 だから、ちょっとの言葉掛けで良いんだと思います。自傷してる人は、それ程まわりに期待はしていない。むしろ、自分の生方について、一緒に悩んだり、思いがけない言葉を掛けられる、「目から鱗」体験を欲しているように思うんですけどね。こういう場合、マニュアル的な言葉は全然役に立ちません。

(2月10日、メール交換にて)

 

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2006年2月 8日 (水)

スタンス

ロブ(以下、R):前回、当事者性の問題を渋井さんがお話ししていました。僕は、『リストカットシンドローム』ではかなり当事者よりの内容でまとめました。それは、意識的に書いたわけではなく、自分が執筆時に当事者であったことが影響しています。

渋井(以下、S):私は、自分自身の漠然とした生きづらさと、ルポルタージュは基本的にはわけています。つまり、原則として、自身の当事者性と関連づけたものとして位置づけたくないというのはあります。
 私自身は、漠然とした「生きづらさ」を抱きながらも、自傷行為をするなどのはっきりとしたアクティングアウトをしていません。そのため、「当事者だ」というほどの存在ではないと思っている、というのもありますね。だから、あまり出さないのかな。
 ただ、本を執筆するうえでは、なぜそのテーマを書くのか、という意味では、自分自身の問題意識や多少の当事者性は出さざるを得ない。だから私も「アノニマス ネットを匿名で漂う人々」(情報センター出版局)で、インターネットを通じて匿名でコミュニケーションする心地よさを感じた体験を、また「チャット依存症候群」(教育史料出版会)では、自身がチャット依存の当事者だったことはふれています。

R:僕は当事者であったがゆえに、取材はしんどかった。だって、知らないうちに取材対象者の心象世界に引き込まれてしまったから。しかし、渋井さんの『アノニマス』を読むと、そういう当事者性からは距離を取って書かれている気がします。そのスタンスは、今でも変わっていないのですか?

S:執筆作品として、私自身の当事者性はなるべくふれたくない、というのは過去でも、今でもありますね。新聞記者をしていた経験があるため、いわゆる「客観報道」の現場にいたというのもあるのかもしれません。
 また、私のルポルタージュのイメージも影響していると思います。私のルポルタージュのイメージは、ルポライター・鎌田慧さんの作品で言えば、「自動車絶望工場」(講談社)よりも、「ドキュメント 隠された公害」(筑摩書房)なんです。
 どう違うかと言えば、「自動車絶望工場」では、鎌田さんは季節工として働き、その労働現場の現状を自らの目で見て告発するのです。つまり、鎌田さん自身が当事者、「内」の人の視点ですよね。潜入モノといばそうなのですが。
 しかし、「隠された公害」では、鎌田さんは対馬にイタイイタイ病と似たような病気が発生しているとの話を聞きつける。しかし、住民はその存在を拒否し続ける。ただ、ある人物の協力によって、取材を始めることができる。そういう意味では、この時の鎌田さんは「外」の人です。
 「内」の視点の作品だって、たとえば、菜摘ひかるさんの「風俗嬢菜摘ひかるの性的冒険」(光文社)のようなセルフレポート、南条あやさんの「卒業式まで死にません」(新潮社)ような日記、見沢知廉さんの「囚人狂時代」(新潮社)といった体験談は、それはそれで読んでいて面白い(ここで取り上げた人はみんな亡くなっていますね)。
 どちらも好きではあり、ルポルタージュの方法としてはありだとは思います。しかし、自分が書くといったときに、「外」の人が書く、というスタンスのほうが、単純に好きなのかな。あとは、単純に、書き手である自分を「読み物」の中に参加させることが嫌なのかもしれません。
 まあだけど、潜入取材は嫌いというわけではない。それに、そうは言っても、「アノニマス」の中では、自分自身も登場している部分はあるんです。だからこそ、ロブさんも言う、「知らないうちに取材対象者の心象世界に引き込まれ」る経験はよくありますよ。

R:なるほど。でも、僕もやってますけど、メール相談などは、当事者の視点と外部からの視点を持ってないと相談というか、相談されてる側もしんどくなってしまう部分があると思うんです。もちろん、夜回り先生(水谷修さん)のような例外の方もいらっしゃいますけど(笑)。
 僕のスタンスが変わったのは、息子が生まれた2001年ですね。やっぱり、親の気持ちもわかるようになってきたし、友だちの言い分もわかる。それまでは、相談を受けても「うん、うん、わかる」みたいな受容を大事にしてきました。しかし、これは、カウンセリングと変わらない。
 とはいうものの、人の人生を決めちゃうような大それた事もできない。結局、認知療法的な受け答えになっていきました。ただ、この変化は「冷たくなった」との声も聞かれました。でも、自分の家族を犠牲にしてまで僕はボランティアで、相談を受ける勇気はありませんでした。

S:私は相談を受けるというスタンスは、私のサイトを開設した1996年以降、ずっとやっています。最初は、インターネットという匿名の場で「相談」という行為が成り立つのかどうかは分からなかったのです。
 しかし、受け付けてみると、意外と、そうしたコミュニケーションを求めているのだな、と思っていました。当初は非常に具体的な問題をぶつけてこられて、問題の解決を考えざるを得ませんでした。
 だから、地域の行政当局や児童相談所、教育委員会との交渉をすすめたり、通報を求めたりしました。また、担任の先生にどのような相談をし、どう返ってきたから、こんどはこう言ってみてはどうか?とか・・・。
 しかし、2000年前後から、相談の質が変化してきた実感を得ます。それまでは、問題をいかに解決するのかを思考していた人が多かったのですが、徐々に、癒しを求めてきた人が多かったのです。つまり、問題を解決するかどうか、ではなく、話を聞いてくれたのかどうかを求めるようになってきます。
 そうした中では、具体的な相談機関を紹介したり、相談のやりとりをアドバイスしてもあまり効果的ではなかったのです。とりあえず、今の「生きづらさ」についての吐き出し口を求めているといった感じです。
 この状況で、気をつける最大の点は、相手の感情がよりネガティヴにならないようにすることでした。だから、ロブさんの言うように、認知療法的なやりとりが増えました。つまり、いまのネガティヴな思考は、ありうる選択のひとつでしかない。ほかの思考もあり得るのではないか。アニメ・新世紀エヴァンゲリオンの主人公、碇シンジっぽいですが(笑)。

R:渋井さんは、相談をメールなんかで受けたりするとき注意してることってあります?

S:夜、特に深夜にわたってはやりとりをしないようにしました。なぜなら、もそもそネガティブな話をすることは、一時的にでも気分が落ち込むことがあります。それは取材でも同じです。また、夜はそもそもネガティヴになりやすいと言われています。そのため、思考のネガティヴさを助長する可能性があります。だから、チャットやメッセンジャーなどでも相談はのっていたのですが、よく話題をそらしました。
 また、夜は、なにかあったときの対応が遅れがちです。なにかあった場合、駆けつけるのに時間がかかります。仮に、緊急対応が必要になってしまう可能性もあるわけで、そうした時には、救急車を呼びたい。でも、夜は、救急車の到着が昼に比べて遅いばかりか、受け入れる救急病院が決まるまでの時間も昼よりは遅い。そうした悪条件が重なっているために、夜はできるだけしないようにしました。
 一方、スタンスという意味では、当初は、インターネット生きづらさのはけ口になりえる、と過大評価していました。しかし、かえって、生きづらさの世界に閉じこもったり、自傷行為の感染がおきたり、自殺未遂というアクティングアウトを覚えたり、自殺への道を歩んだりしたする人も出てきました。そうした中では、はけ口にもなりえるが、かえって閉じこもるという両方の面があることを分かってきました。そのころから、過大評価はしなくなりました。
 ただし、ネット心中やネット犯罪が起きて、マスコミでコメントする際は、はけ口になることを強調しています。なぜなら、マスコミの多くは、インターネットがあったから、危険に近づいたんじゃないか?と、ネットをネガティヴに言い過ぎるから。

R:ネッ悪玉論は根強いですよね。最近では、精神科医の岡田尊司さんのゲームやネットが子どもの脳をダメにしていくという「脳内汚染」が有名かな。 テレビゲームが人間の脳に悪影響を与えると指摘した「ゲーム脳」よりは、ましな指摘ではあるけれども、データが自分の論を実証するために有利なモノを恣意的に集めた感は否め ない。
 大阪市16歳未満の19時以降の外出を禁止する門限条例みたいに、行政がどんどん子どもを初めとして、日本人の行動範囲を強制的に狭めていくのは解せない動きだと思っています。
 僕も場合によっては、児童相談所まで掛け合うこともありますが、そういうことは身近な人間がやるべきだと思っています。だから、どうしても身近な人間が手を差 し伸べてくれないような場合だけ、ネットを使って、助けを求めるような状況になって欲しい。
 もちろん、行政の仕事をどんどん民間に任せて、小さな政府を実現しようとする自民党が推し進めているような政策に猜疑心すら抱かない日本人に、今さら臨機応変性を求めるのは無理だとわかっています。
 でも、僕がそれでも見返りを求めないで、こういうネット相談なんかを続けるのは、限りなく少数だけれども、「死にたい」、「生きづらい」という声に耳を傾ける人が出てきているからです。
 ただ、ホリエモンみたいに「もっと、世の中を単純にしたい」って考えはおかしい。それは、見えるモノを見えないモノに変えてるだけだから。
 ネットの功罪に関しても、学校だけじゃなく、色々な人が、子供たち、ネットを生きづらさのはけ口にしてる人たちに、良い面と悪い面があることを教育していかなきゃならない。真理ってのは、それだけが絶対なモノではなく、必ず影を持ってるわけですからね。

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2006年2月 1日 (水)

ライターへの道

渋井(以下、S):私はまだよくわからないのですが、どうして、ロブさんがライターという選択をしたのか。今の奥さん、当時の彼女が手首を切っていて、どうしていいかわからなかった。そのためにいろいろ調べた。ここまではわかります。でも、結果として、雑誌「バースト」に、彼女以外の人を含めたルポを発表しますよね。なぜ、調べるだけでなく、それを執筆したんでしょうか?

ロブ(以下、R):う〜ん、執筆したのは、この世界に誘ってくれたライターの今一生さんが、「一緒に、書いてみない?」と誘ってくれたんです。

S:そういえば、私とロブさんが最初に顔を合わせたのも、今さんの事務所でしたね。あのころは、ほとんど話していませんが・・・。

R:当時は、「雑誌に自分が記事をこんなに簡単に書けるものなのかな?」と半信半疑で、とりあえず、「流れに乗っちゃえ!」みたいな感じでした。だから、執筆した理由ってのは、かまってちゃん的な自傷行為をしている人たちがいるということを一般の方に知らせようとか思ってなかった。だって、当時の「バースト」は、マイナーでしたからね。
 でも、まぁ、ライターと名乗るからには雑誌かなんかで書かないと、嘘ついてるような気持ちもありました。だって、せっかく掴んだチャンスなんだから、ちょっといかがわしい今さんの考え方にも反対することもないって思ってましたよ。ただ、以後は半年以上ライターとして執筆することはありませんでした。


S:ライターになったのは「流れ」ということですか。ただね、彼女が手首を切っていて、調べようというのは、もともと助けたいというのはあったんじゃないのか?て思ったんですが、それはなかったの?


R:助けたいって気持ちはありましたよ。でも、彼女の症状も落ち着いてきて、「同じように悩んでいる多くの人を救いたいという」神様みたいな誤解をしてしまったんです。
 そのきっかけが、現在も僕のHP(RESTLESS HEART)にある「自傷らーの館」という掲示板です。
 掲示板を開設した頃は、「調べると」いう気持ちから、「救いたい」という気持ちにシフトしていました。インターネット利用者が少なかったおかげで、あの頃は、掲示板で自傷行為を告白するだけで、気分が楽になった人がたくさんいました。

S:たしかに、あの当時は、掲示板で告白したり、自らのサイトでカミングアウトすることで、楽になる人は多かったですよね。そうしたネットでのカミングアウトの有効性がわかってきたころでした。だから、私も、生きづらさ系の掲示板をいくつか作り始めましたから。
 ただ、ネットでカミングアウトすることで、かえって「自傷的な世界」=「生きづらさを抱える世界」から抜け出せない人も出てくるのですが、当時はそれほど意識してなかったですね。
 そういう意味で、ネットでいろいろ調べようという考えは、当時の私にもありました。ロブさんも、自傷行為に関する告白というか、独白のような場を設けて掲示板「自傷らーの館」を 開設したってことですが、それ以前に、サイトを開いていましたよね?
 その前は、自傷行為をする人たちとの交流は特に意識してなかったと思うんですよ。そのときは、ネットでどんな交流を目指していたんですか?


R: ああ、「まったり生きたいけれど生きられない人のBBS」(現在は閉鎖)ですね。伝説の掲示板(笑)。正直、ネットでどんな交流ができるのかいまいちわからなかったんですよ。「まったり〜」の方ではオフ会なんてできないと思ってました。
 だって、2ちゃんねるの連中が多かったし、直接会ってみたいという気持ちが起こらなかったから。でも、「自傷らーの館」の方では、個人的につながりができてきて、掲示板をきっかけとして、最終的には実際に会って、交流を深めたいという気持ちはありました。
 だけど、ぶっちゃけて言うと、宮台真司=援助交際的 なもの、ロブ@大月=リストカットという図式を戦略的に構築したかったし、それにはどうしたらいいか、 ネットを使って日々考えていたら、「バースト」執筆から半年以上も、何も執筆していなかった。それでも、 やばいって感じはありませんでした。大学を留年して、モラトリアム期間だったから(笑)

S:「まったりBBS」は、懐かしいですね。あのときの人脈が多少、今でも続いていますよね。そのころ、(宮台さんの言説になぞらえた)宮台系のサイトやBBSが多く出来て、ロブさんも立ち上げていましたね。やはり、宮台さんことを意識していたってことですか?すごいですね(笑)。

R:宮台さんを意識してなかったと言えば嘘になります。援助交際してる女の子が自傷行為をしてるってことも多いとわかってきた時期でしたし、僕自身、やたらと彼の言説に敏感だった。

S:それにしても、その後、それほど雑誌等に書いていないロブさんが、単行本の執筆にかかりますよね?あのとき、共通の知り合いの編集者がすすめていたので、リアルタイムに企画進行等は 知っていました。
 それほど執筆していない自分が単行本を書くことはどう思い ましたか?他人事としてみると、私はまだ単著を出していない時期でもあったので、「羨ましいな、ラッキーだな」と思う反面、「大丈夫か?」かとも思ってましたが。


R:「自傷らーの館」のオフ会で、知り合ったラー油という女の子が、自殺してしまった。ショックでしたね。毎日、「なんで、助けられなかったのか」とやけ酒を一人で飲み続けました。そして、彼女のお母さんと会って、背負ってきたものの大きさを再確認した。しかも、自殺する直前まで悩んでいたことを僕だけに託していた。
 その話を、編集者にしたら、「何か、本にまとめられないかな」と声をかけられて、処女作『リストカットシンドローム』を書くことになったんです。自分の執筆経験のなさは不安要素でしたよ。
 そもそも、ルポの書き方なんて知らなかったから、何十回も書き直したし。取材だって、手際が悪くて、取材対象者には、迷惑をかけたと思います。出版直前まで、「こんな自分が本を出して良いのか?」と毎日自問自答しました。死にたくなるほど、悩み抜いた末の処女作デビューだったんです。


S:彼女を助けたい。そのために取材を初めて、ネットでフィールドワークも始める。その結果、処女作の発表に至る、ということですよ。ということは、ロブさん自身が当事者(初めは彼女をサポートする立場ですが)で、当事者の人たちをルポするといった、はっきりとした立場がありますよね。
 私の場合は、漠然とした「生きづらさ」は抱えていても、それがはっきりとした形(たとえば、家出や自傷行為など)に現れるわけでもない。そういう面からすれば「当事者」ではない。そういう私が自傷行為や家出、援助交際などを行動化(アクティング・アウト)をする人たちを取材し、ルポするのとは違いますよね。
 どちらかがいいとか悪いとかではなく、当事者だから、あるいは当事者ではないから、聞けること・聞けないこと、書けること・書けないことがあるんだなと思います。

(つづく)

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2006年1月26日 (木)

出会い

渋井(以下、S):ロブさんとは98年ごろ、出会いましたよね。あのときは、まだライターを名乗ったばかりだったよね。私は不思議だったんですよ。
 大学生でライターをするのはそれほど珍しくはないんだろうけど、発表媒体もそれほど決まっているわけでもないのに、あの当時は、ネタになるかどうかわからない自傷行為を取材しているんだから。取材というよりは、なにか「自分探し」でもするかのうような、不思議な感覚があるのかな?って思ってたんです。
 それで、そのうち、自傷行為をする人のルポを「バースト」(コアマガジン)で発表しましたよね。私は当時、まだ「生きづらさ」をテーマに取材を始めたばかりで、自傷行為や精神医学などの分野はまだ「生きづらさ」とどう関連するはあまり見えなかった時期だったんですよ。

ロブ(以下、R): 当時は、今一生さんというライターさんにそそのかされて、精神病院の夏祭りに誘われ、その打ち上げで自傷する人が思ったよりも身近にいたことに驚きました。摂食障害とか本で読んでる人のオンパレードで(嗤)。
 その当時は、今の奥さんが手首を切った後に落ち着きを覚えるってのが、よくわからなくて、それを自分で調べていくうちに、「バースト」で書くことになったんです。でも、当時は僕もこんなに自傷、リストカットを調べていくことになるとは思ってなかった。
 もちろん、自分探しみたいなのはしてなかったと言えば嘘になる。「多くの心の病の人と接することによって、何かが変わるんじゃないかな」、「そんなに、リストカットすると落ち着く人がいるのか」とか思ってました。
 そうやって、取材してるウチにいつか自分の社会的ポジションが明確に見えてくると勝手に思いこんでいたんです。 だから、自分でもリストカットしたり、精神科受診したり、体を張った試行錯誤の毎日でしたね。
 渋井さんは、ご存じですが、僕は渋谷の暴れん坊だった。そのときに、自己不全感をどんどん膨らませて、ドラッグで、自己基底欠損感を埋め合わせてた。それの仕上げをしようとしてたんだと思います。
 そんなときに、渋井さんがいて、飲み会なんかで、筋肉動かしたりしてる人が「生きづらさ」を取材するってかなり「?」感じだったんですけど…。

S:筋肉動かしてる人って誰ですか?(笑)。筋肉動かしてる人と、「生きづらさ」の関係って、変なの?運動とか鍛えている人は「生きづらさ」とは関係ないと思っていたってことかな?私が小学校の頃から野球やっていたけど、(あの当時は自覚はしてないが)「生きづらさ」は感じていましたよ。体育会系の人は、「生きづらさ」を感じないと思っていたの?

R: あの当時は、マッチョ系は生きづらさなんて感じるはずないと思っていましたよ(微笑)。

S:そういえば、飲み会のとき、右腕の筋肉を動かしていましてね、私は(爆)。

R:胸の筋肉も動かしてましたよねえ。それに、新聞社を辞めてライターを始めるなんて、あの頃の僕からしてみれば羨ましいって感じだった。自分の生きる道を通ってるんだなって思ってました。でも、なんで新聞社を辞めてまでライターを目指したんですか?

S:新聞社を辞めたのは衝動ですね、「もうこれ以上はいたくない」と単純に思ったんです。なぜそのとき「いたくない」と思ったか、明確な根拠はないんですよ、実は。辞めた後に、人に聞かれて、いろいろ理由を考えるようになり、話したりもしました。でも、それは後付けに過ぎません。
 新聞社を辞めて、ライターをやるというのは、たしかに、ある意味、安定生活を放り投げる感じですよね。ただ、所属していた会社は、同業他社に移籍する先輩たちも多かったし、辞めること自体はそれほど悩みませんでした。
 しかし、フリーランスになる人は少なかったんですね。たとえば、同じ木曽支局にいて、隣の席だった、写真家の小林キユウさんは、最初からフリーランスを目指しましたね。私の場合は、辞めた後のことをあまり考えてませんでした。マスコミに特にこだわったわけではないんです。
 食べていかなければならないとは思ったので、とりあえず、新聞社時代から付き合いのあった「週刊金曜日」に書いたり、新たに営業して、「月刊 創」に、オウム真理教について書いたりしましたね(これが「ドキュメント オウム真理教」というムックになっています)。
 いい仕事があれば、いまでもそっちにいきたいとは思っています。そういう意味では、永遠に求職活動をしている感じではありますねえ。だから、大学院に進むわけですが、就職という意味では、縁遠いかもしれないですが、教育学を専攻してしまう。ますます安定生活からは遠くなりましたね。

R:当時から「生きづらさ」をキーワードにライター活動をしようと思っていたのですか?

S:「生きづらさ」をテーマにしたのは、99年に「ワニの穴17 隣の病人読本」(ワニマガジン)というムックが発売されるわけですが、その中の「ダイエット中毒」に関して執筆したことがきっかけですね。摂食障害の人たちを取材した記事です。
 もともと、そのムックの編集者Iとどうつながったのかといえば、あるライターの人がメーリングリストを作っていて(いまはもうないですが)、私も営業活動のつもりで参加していました。そこで、「誰か、編集者を紹介してほしい」と書いたら、ある人がそのムックの編集者Hを紹介してくれたわけです。その編集者は、現在の「実話GON ナックルズ」(ミリオン出版)の編集長になっています。その編集者の元に、最初の記事を書いたのが、「ワニの穴14 東京ダークサイド」です。その中で、ロシアンパブで働く人たちを取材しました。
 そのときのカメラマンが偶然にも、同じ新聞社にかつて所属していた、駒村吉重さんだったわけですが(笑)。駒村さんは、辞めた後、同業他社にもいかず、すぐにフリーライターになったわけでもない人で、ある意味、私に近くて、結果的にフリーライターになった人でした。
 ただ、そのロシアンパブで働く人たちにも、国境を越えた中での「生きづらさ」を薄々感じてはいました。ただ、「生きづらさ」というキーワードはまだ出てきません。
 「ワニの穴14」の編集者Hが、「ワニの穴17」の編集者Iを紹介してくれるわけですが、「ダイエット中毒」に関して、それほど知識もないし、人脈もない時代でした。そのため、探す手段として、安易ですが(笑)、インターネットで探したわけです。
 なぜインターネットを使ったかといえば、当時、私はすでに自分のサイトを開設していて、悩みを告白するメールは届いていました。だから、悩み等をインターネットで綴る人の存在は知っていたんです。
 すると、摂食障害の人が同じような人たちと集い、悩みを告白し、癒し合っている自助グループ的な掲示板があり、その掲示板を通じて、何人か取材ができたのです。その取材をすすめる中で、ある女性が「生きづらさ」という単語を出したんです。
 そのときに、ロシアンパブの女性に対して考えていたものと共通項があったんです。そればかりではなく、これまでインターネットを通じて交流してきた、悩み多き人たちともつながった。さらに、漠然とした不安感を抱きながら思春期を過ごしてきた私自身とも関連性があると思ったんです。そこで、当時、「〜系」とするのが一つの流行
のようなものだったので、「生きづらさ系」としてみたわけです。

R:確かに、1999年頃は、インターネットが普及し始めて、サブカルのジャンルを中心に細分化が進み、何かをカテゴライズするために、「~系」ってのが流行っていましたね。メンヘル系だと、ドクターキリコ事件で「自殺系」とか。まあ、「渋谷系」がこの分類を人口に膾炙にした先駆けでしょうけど。
 あと、我々はどうも、「自傷系」、「自殺系」というメンタルな問題を追い続けるライターと認識されてるけど、自分たちは、そんな意識を持ってこの稼業を始めたわけではないんですよね。

(於:060125 新宿中村屋で、シーフードカレーとオムライスを食べながら、つづく)

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