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2006年9月19日 (火)

山口・徳山高専女子学生殺害事件 

渋井(以下、S):久しぶりの更新です。
 いろいろ、少年事件で報道がにぎわっています。そんななかで、山口県徳山高専・女子学生(20)殺害事件がありましたね。最終的には逮捕状が出ていた少年(19)が遺体で発見されました。報道によると、自殺で、遺書もなく、殺害動機がわからないままになってしまった、ということです。
 新聞や雑誌等を見ても、友達や家族、学校関係者などいろいろ周辺のコメントは出ていますが、どれも状況証拠的なコメントであって、事件につながるような決定的な動機のようなものはありません。
 やはり、遺族もそうでしょうが、この事件がいったいなぜ起きたのか、動機はなんだったのかを知りたいでしょうし、この事件をニュースとして消費していた私たちも不完全燃焼だったように思います。男女関係のトラブルという一般的な見方で落ち着いたとしても、なぜ殺害しなければならなかったのかは、やはり、見えてきませんし。分からないものは分からないでいいとは思うのですが、分からないと不安になる人もいることだろうし。

ロブ(以下、R):この事件もそうですけど、殺人事件で、人を殺している最中の精神状態なんてまともな状態だとは考えられません。だから、僕は精神鑑定などはあまり動機解明に つながるとも思わないし、状況証拠から、評論家やメディア精神科医が推論を展開するのは無意味な安心感を与えるだけだと思うんです。
 それと、週刊新潮が、実名報道した意味も今イチわからない。まあ、犯人の少年が発売時点では発見されていなかったから、指名手配的な意味合いがあったとも言えます。しかし、2chなどで喧伝されるご時世を考えると、実名報道は、犯人を追い詰める方向にしか向かない気がするんです。それは、少年犯罪だけでなく、成人の犯罪も同様です。
 また、少年の部屋から、アダルトビデオが出てきたとか、その内容が過激なものだったとか、そういういかにも犯罪に結び付きやすいものだけが見つかって、それが犯罪の原因であるという図式は、動機の解明とは言えないでしょう。だから、僕は死人に口なしで、余り今回の事件で、動機解明は不可能だと思っています。


S:たしかに、動機解明は不可能です。本人がなんらかの殺害計画や殺意を示したメモとか、ブログが見つかると、多少分かったりしますが、それだとしても、実際に実行するかどうか別だし、そう書いていても、殺さない人もいますからね。
 安心感を与えるというのは、意味のあることとしては、日常生活を送って行く上で、すべての少年が危険ではない、あの事件は特種なんだと理解できて、「テレビの中の出来事」として処理できるところでしょう。しかし、自分たちとは関係のないところで起きたとして、自分の立っている世界と切り離し、別の世界の出来事としてしまうことで、事件が「社会」の中で起きたことを忘れさせてしまうことでしょうね。
 このあたりは、難しいんですよね。下手に、動機不明な事件として不安を煽ってもいけないし、へんに理屈をつけて、わかりやすい事件にしたとして、安心感を与えるのもおかしい。
 実名報道のことですが、私が特に意味がわからないのは、理由です。読売新聞は、「容疑者が死亡し、少年の更生を図る見地で氏名などの記事掲載を禁じている少年法の規定の対象外となったと判断したことに加え、事件の凶悪さや19歳という年齢などを考慮し、実名で報道します。 (2006年9月7日23時51分 読売新聞)」としていました。
 この論理だと、実名報道=更生を図ることからの除外、ということになります。ということは、犯罪報道における「実名報道」は、更生を無視し、社会的制裁を重視している、ということになります。もし、そうであるならば、推定無罪の原則から外れてしまいます。実名報道の理由は、捜査が適切に行われ、誰が逮捕されたのかがわからないと警察権力をチェックできない、というものだったように記憶しています。その理由からも外れます。 
 その意味では、まだ週刊新潮の方が理由は明快です。「凶悪事件において、犯人の身柄確保以上に優先すべきことがあるはずがない。そのための実名と顔写真の公表は犯人の『自殺・再犯』の抑止にもつながる」と記事に書いてあります。
 つまり、その是非はともかく、そうした理由に一般論として、一定の説得力はあります。顔と名前が分かれば、潜伏していても誰かが通報してくれるんじゃないか、と漠然と思えます。立場も、人権よりも「捕まえるため」を重視した報道というものになる。まあ、警察の広報になりましたとの宣言です。しかも雑誌なので、見たい人だけ買えばいい。
 しかし、2chですでに晒されていたり、メディアで流された場合、心理的に追いつめる作用ももちろんあるでしょう。ただ、今回の場合だけみれば、そんな余裕はなかったように思えます。
 「レイプもの」のアダルドビデオが押収された、との記述もありましたが、もともとそうした性癖なのか、ビデオの影響なのか、あるいは、犯罪のヒントになったのかなどは、今後も一般論としては議論されるでしょうし、今回の事件でも推論は述べられるかもしれません。しかし、だからとって、ビデオが犯罪を誘発した、という話になれば、安易であることはゆがめない。もし、ビデオが即、犯罪を誘発するのなら、もっと起きてもおかしくはないしね。
 ただ、今回の事件で、警察の捜査手法が問われるかもしれません。結局は公開捜査をせず、実名・顔写真を発表しませんでした。警察庁の通達では、凶悪犯罪で再犯のおそれがある、社会的不安があるようなケースは公表できるような内容になっている。なぜ、適用しなかったのか。この適用の是非は議論されることでしょうね。しかし、その適用の是非と、実名報道の是非は別です。「警察が発表したから」という理由ではなく、報道機関は独自の基準を持つべきでしょう。

R:ビデオの影響論で言えば、日本ビデオ倫理協会(以下、ビデ倫)の許可を得ないインディーズ系ビデオが増えたために、ビデ倫の審査が甘くなって、アナルなんかもモザイクなしでもOKになってきました。この流れだけを見ると、性の規範が乱れるとか何とか言い出す連中が出てくると思います。
 しかし、ビデ倫を事態の経済的事情が絡んでいて、アダルトビデオのインディーズシーンにも介入して、審査料を取ろうとしているのは見え見えです。確かに、アダルトビデオのインディーズシーンが無法地帯化しつつあるでしょう。しかし、過激な内容を取り締まれば、また次の抜け道が出てきて、いたちごっこです。だから、アダルトビデオ規制の動きが出るのは木を見て森を見ずと言えるでしょう。
 警察の捜査手法もそうですが、また少年法の壁が議論の対象になるのではないでしょうか。社会更正という意味では、非公開が良いのかも知れませんが、事件の種類によっては、少年法適用外というのも超法規的措置として考えなければならないと思います。
 もちろん、マスコミ側も警察のリーク情報を流すのではなく、独自の基準で事実を報道する姿勢が必要となっていると思います。

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