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2006年6月28日 (水)

サポートする側をサポートすること

ロブ(以下、R):自殺問題に限らず、ケアする仕事全般に欠けている意識として、サポートする人をサポートするというものがあると思います。精神科領域で言えば、スーパーヴァイズになるでしょう。
 専門家の場合はカンファレンスなど様々な場で、悩み、問題などを開示することによって アドバイスを受けることができます。ただ、自傷癖者、自殺志願者の周囲の人間は精神科医やカウンセラーから対応について 聞いても、悩みを抱え込みすぎる場合があります。
 さらに、元自傷癖があった人、自殺志願者だった人が相談に乗って再発したり、同じ悩みを持つ人たちがピアカウセリングなんて美辞麗句に踊らされて、自助グループを作って、逆に悪化することの方が多いのではないでしょうか。
 そういう点を踏まえると、自殺対策基本法問題にも通じますが、サポートする人をサポートする制度が必要ではないでしょうか。

渋井(以下、S): ロブさんのいうように、自助グループに参加して、かえって、各依存の方法をみにつけたり、情報を得て、悪化した、との話を私も聞いたことがあります。とくに、自助グループは、匿名的な関係が保障されることが前提であることが多いですよね。そうしたグループでも、構成委員がケータイの番号やメールを交換してしまって、日常的にもつながってしまいます。そのような場合、日常的に引きづり混まれてしまう・ひっぱりあいをしてしまうことも聞きます。
 こうした問題は、専門職の人たちに見えないかたちで進行していきます。デイケア等の病院仲間という場合は、ある程度関係は見えますが、しかし、関係してしまったことによる相互作用は未知数です。いわゆる、ピアサポート的な感じになる場合もああったりしますが、そうでもない場合も多いのではないでしょうか。
 一方、自傷癖のある人、自殺志願者、また、その周辺層である、各依存症者たちの周囲の人たちは、いるだけで精神的に負担がある場合があります。たとえば、家族だから支えなければならない、とか、恋人だから一緒に乗り越えようとか。そう思えるうちは、サポートしようと思えるのでしょうが、そうした周囲のひとたちも疲れて来てしまいます。共依存だ、と言えばそうなのでしょうが、「共依存」と名付けたことによって解決するものでもないですよね。
 サポートする人とは、結局、ある問題を抱えた人について、その問題を一緒に解決しようとする周囲の人たち全般を指します。しかし、それが専門職であれば、仕事だと割り切れ、時間になれば終わることができますし、それが当たり前として認識されるべきでしょう。また、様々なグループでの活動であれば、うまくネットワークをいかし、役割分担をしていくことで、個人がかかえた問題は解消する方向にいくかもしれません。しかし、日常的にそうした人たちと接する人たちは、休みもありませんし、孤立する時間帯は必ずありますよね。でも、サポートする人をどのようにサポートできるのかってのは、難しい問題ですよね?

R:周囲の人間の苦悩の代表的なものをあげれば、介護鬱でしょうか。うちの母は、ホームヘルパーをやりながら、同居している父親の母親を面倒見ていました。去年の1月になくなるまでプライベートと仕事がごっちゃになってて、愚痴の電話が耐えませんでした。僕自身。サポートする側ですが、そのサポートをさらにサポートされることは個人的には考えたことはありません。
 でも、そうした意識が「慣れ」になって、サポートとして成立しなくなるときがあります。そういうことを減らすためには、サポートする人の精神衛生上、精神科や行政が、周囲の人間のサポートまで視野に入れた方が良いと思います。自殺遺族会、全家連みたいに大きなものじゃなく、もっと地域レベルでサポートする人の
援助が必要だと思います。
 サポートしすぎる人は、共依存でしょうね。だから、家族であっても適度な距離感を保たないと、人格障害なんかは巻き込まれてしまう。だから、適度な距離感、空気の読み方など、専門家のアドバイスもありつつ、実際にサポートする人たちが「こんな、我が家の秘伝もありますよ」とか話し合えたらいいなと思います。

S:「我が家の秘伝」って発想は面白いですね。
 ただ、ちょっと思うのですが、たしかに、依存する人を支えてしまう共依存の人はいるんでしょう。また、過度な干渉をしてしまうようなある種の人格障害の人とかもいますよね。しかし、共依存や人格障害なんか、普通の人たちは認識していない。普通に、ある人を支えたい、と思ってる。共依存や人格障害という名付けをすることで、相手との関係性を見直して、適切な距離をとろうとすることもあるでしょう。一方、名付けられたことで、それを正当化してしまったり、そもそも名付けて、「あ、そうなんだ」と思うだけの人もいるでしょう。
 多くの「普通の人」は、名付けと無関係に生きていて、ただ相手と一緒にいたい、相手を支えたい、と思っているんだと思う。そうした人たちに向けて、何ができるのだろうか。名付けることを意味を分かる人はいるでしょうが、そんなこと関心がある人がどこまでいるのだろうか。
 そうした「ごく普通のサポートする人」を想定するときに、いったい、システムとして何ができるというのでしょうか。治療的介入を拒む人たちにはどうすればよいのか。いわゆる、非援助という援助もあります。
 最近では、家族問題だけでなく、恋愛問題で、そうした距離感の問題を訴える人が増えて来ているように思います。恋愛論ブームは、そうした下敷きもあるんじゃないかなと思います。そういえば、ロブさんも、パートナーとの関係性は、恋愛から家族へと移行したと思うのですが、恋愛時代に、なにか感じましたか?

R:恋愛時代は、それ程援助ってしてなかったと思いますよ。救ってあげようという意識は、意外に薄かった。とにかく、自分の好きな人がどういう状況で、千差万別の症状を見せるのに対して、あまり構えないようにしてました。
 僕の先方は孫子が基本ですから。モグラ叩きゲームみたいなもんで、病気になって3ヶ月間は、いきなり奥さんの家族関係に切り込んでいくという大胆なことをしました。
 今思うと、「マニュアル化はできねぇな」と思います。自分で言うのも何ですが、サポートする人は相手が好きであるという状況から、共依存へ移行するのを自覚できません。この辺を自覚させるのは、専門家の領域でしょう。
 だからこそ、サポートする人の精神状態を支えるのは、むしろ何もしない方が良い。さりげない会話の中で、少しだけ聞いてあげるとか。僕は、メンヘルを知らない友人達に助けられてきたのは、知識がないからこそあえて、突っ込んだ話はしない点にありました。今まで通り、たわいもない会話ができる状況が、簡単にできる。サポーターをサポートすることだと思うんです。
 だから、周囲のまたその辺縁にいる人は、病気のことを記号だと思うくらいでいいんじゃないかと思いますね。渋井さんの言うように、「非援助」って考え方もあると思います。

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