« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »

2006年3月29日 (水)

渋井(以下、S):さて、今回は旅の途中からメールをいたします。「青春18切符」や「北海道・東日本パス」を組み合わせての一人旅です。そのため、これまでずっと各駅停車の旅なのです。いま(3月26日)は、岩手の遠野に来ています。柳田国男の「遠野物語」の舞台であり、日本でも民俗学発祥の地でもあります。私は、こうしたほとんど取材に関係なく、長期の一人旅はほぼ10年ぶりなんです。10年前は仙台市内まで北上し、仙山線で作並温泉に行き、山形を通って、当時住んでいた長野県塩尻市に戻る旅でした。今回の予定は、仙台→遠野→八戸(キリストの墓)→旭川→札幌→秋田→山形→仙台→東京、といったルートを予定しています。ロブさんは、18切符を使った長期の一人旅の経験はありますか?

ロブ(以下、R):僕ね、18切符って憧れなんですよ。高校の時に、定偏差値校だったから、渋井さんみたいに北海道まで大学見学に18切符使って行けって言われて、行こうと思ったけどなんか行く気のない学校に長時間の旅はって感じでした。一人旅はないですけど、予備校のときかな。武蔵野線に乗って知らない街に行ったり、京浜東北線で大宮から大船まで意味なく何回も行っていました。あと、湘南の海とかも大学に意味なく一人で冬なのに、ぶらぶらいきました。渋井さんの今回の旅は、慰安旅行みたいなモノなんですか?

S:慰安旅行などの明確な目的はないんです。大学生の時から、18きっぷを使ったり、フリー切符を使ったりして、その期間中の旅はよくしていましたので。今回は、なんとなくです。たまにやりたくなるんです。でも、今回のように長期の一人旅は10年ぶりでした。
 大学生のとき、18きっぷを使って、夏休み中に、広島・長崎を訪問したことがあります。卒業旅行も18きっぷを使いました。そのときは九州に行きました。熊本までですが。また、フリーきっぷを使って、天の橋立てに行ったり、紀伊半島に行ったりしました。仙台の作並温泉に行ったときもフリーきっぷを使っていたと思います。
 ただ、今回の旅で気がついたことがふたつあります。一つは、あらためて思ったのですが、新幹線の影響です。特に仙台は東京から1時間ほどで着いてしまうので、東京の郊外と同じ感覚になってきている。仙台に来たのは10年ぶりだったのですが、まるで、町田を見るようでした。銀行に行く途中に消費者金融のATMがあるんです。潜在的に消費意欲を駆り立てているような気がしました。
 また、新幹線の影響で、JRの赤字路線が廃止になっていますよね。岩手(いわて銀河鉄道)や青森(青い森鉄道)の一部は第三セクターになっています。新幹線ができると主要都市の駅以外は採算が取れないのでしょう。これは長野新幹線が出来たときと同じです。長野新幹線の場合も、在来線が第三セクターになりました。ただ、群馬県の横川と軽井沢の間は第三セクターもありませんよね。
 こうした採算が取れない路線の第三セクター化によって、18きっぷではこの区間が利用できないのです。旅の途中、これに疑問を持っている旅行者もいました。これは18きっぷの旅に影響が出るでしょうね。
 そのため、JR等でも、一部はその対策をしています。それが今回、私も使用した「北海道・東日本パス」です。青森や岩手の第三セクターでも、この切符では利用できるのです。東北地方を旅行するには18きっぷよりも便利です。
 ただし、18きっぷは、1日分が5枚一組で、日にちをずらしたり、二人で使うこともできますが、「北海道・東日本パス」は一人でしか使えなく、連続した5日間しか使えません。まあ、私は一人旅で、その日その日に泊まる都市を変えているので、ちょうどよいですが。

R:旅ではないですが、合宿免許で沖縄県の糸満市にノンフィクションライターの藤井誠二さんと滞在したのは良い経験でした。旅行では見られない、聞けないような地元住民の話が聞けました。
 そのとき驚いたのは、沖縄の若者は、地元に愛着のある人がどんどん少なくなっているということです。「だって、何もないこんなトコより、ナイチ(本州)の大きな街に住みたい」と言うのです。
 でも、大人も沖縄の財政状況の悪さは痛感してるようで、「仕方ないさあ。」とサバサバとした感じで答えました。沖縄に何か癒しを求めて行く人は後を絶ちませんが、旅として、観光として行っただけで「沖縄楽園幻想」を抱くのは危険だと思いましたし、なんか生きづらさの解消のために、沖縄に行く人は地元民を困らせてるだけだなと感じましたね。

S:生きづらさの解消のための旅でも私はいいとは思いますよ。それが観光という産業に組み込まれているものですし、それに、解消できたとしても、一時的であり、日常に帰ってしまえば、再び問題はふりかかってくる可能性は大きいですけどね。旅の目的はなんでもいいと思いますよ。
 「旅行では見られない」とロブさんは言いますが、それは「旅行」の方法にもよります。地元の人の話を聞けるという意味では、旅行でも十分聞けます。どこにいけば、その街の人の本音を聞けるのかを探せばいいわけです。本音を聞くことが何の意味があるのかはわかりませんがね。
 たしかに、観光だけで、「沖縄楽園幻想」を抱くのはいけないことだと思います。1970年に、国鉄(現在のJR)が「ディスカバージャパン」と銘打って、国内の電車旅行を宣伝していたことがあります。今回の旅でも、それ以前の旅行でも「こんなところが日本にあったのか」という発見、というか気づきはあります。
 特に、私のような東京を中心に見ているメディアの人間にはあらためて、「東京は日本のほんの一部」だということを再認識させられます。かつて、長野県の新聞社にいた時、木曽谷で取材をしていたのですが、まさに、そこは「ディスカバージャパン」と銘打った当時そのままの観光地があります。
 しかし、そこで住んでいる人たちの希望のなさ、一方でそれでもなにかできることを探すといった現実を目の当たりすると、旅行するときの目も変わってきますけどね。今回も日本海側の旅の途中、海沿いの小さな集落を目にしました。私の日常から考えれば、「ああ、これが日本海側の風景か。すごいな」だけで終わってしまいます。
 しかし同時に、「ここに住んでいる人たちはどんな生活をしているのだろう」と思ってしまうと、旅行気分ではなくなる。旅行の意味がない。旅行は、日常から切り離されるから成り立つと思います。
 それにしても、ロブさんはこれまでどうして一人旅をしなかったのですか?

R:結婚して、子どももいるとなかなか一人旅なんて出られませんよ(笑)それ以前は、大学生時代に日帰りでぶらっと日光辺りまで行ったことはありましたが、 今回の渋井さんのような長旅だけでなく、一泊二日の旅もないですね。
 なんでかっていうと、お金と時間がなかった。それと、その頃は旅行って女の子や(笑)、 友だちと行く感覚の方が強かったかもしれません。でも、大学に落ちて二浪目が確定したとき、日本海側に向かって、自分を見つめ直す一人旅、自殺予定の一人旅は計画したことがありました(苦笑)結局、予算がどうしてもなくて決行できませんでしたけど…。
 でも、時間と余裕さえあれば一人旅はしたいですね。今回の旅以外でも、何か印象的な一人旅って渋井さんにはありますか?

S:結婚と子どもは、たしかに、一人旅をしない、というか、できない理由になりますよね。まあ、一泊二日くらいなら、仕事だとごまかしていけなくもないけど、1週間くらいは無理ですね。海外取材でもしない限り。
 ただ、予算がなくても、昔はみんな一人旅をしていたんじゃないの?ユースホステルに泊まるとそんな話ばかりだったし。私だって、大学時代は18きっぷと安宿を探して、そしてたまには駅で泊まりましたしね。
 当時は18きっぷは1万円で、旅のトータルも3万以内ですませていたような気がします。「さーくる旅」という大学のサークルに入っていた先輩は、安い旅行の仕方を知っていました。国内でバックパッカーという発想が徐々になくなっているんでしょうね。
 私は印象的な旅はいろいろありますよ。たとえば、三重県の関町を訪れたときですね。鈴鹿の、東京から見れば手前の関所町ですが、ここは、伝統的建造物群保存地区なんです。ここに、記者時代に休みをとって行きました。同地区に興味があったのと、その地区に、木曽谷の同地区の保存担当者が移り住んだことがきっかけでしたね。
 それと、天の橋立てに行ったときも、京都の京都市近辺以外のイメージを持つことができました。京都って海あるんだな、って実感しましたよ(笑)。山城温泉に行ったときも、そこに行くことを決めていなくて、偶然立ち寄りました。
 それと、結婚前に行った仙台の作並温泉も覚えています。仙台と山形を結ぶ仙山線に乗ってみたかったんです。このときは、正月にパートナーに黙って行きました。当時はケータイは持っていたのですが、作並温泉は圏外でした。連絡が取れなかったので、怒られましたよ。でも、怒られる理由がよくわかりませんでしたけどね。
 こうやって、たまーに、ぶらっと一人旅をしていますよ。予定があいまいな。今回も予定は一応立てますが、ほとんどが行き当たりばったりです。泊まる場所も、前日くらいに決めています。
 ただ、いつも思うのですが、観光ガイドって一人旅には役に立たない。最初から「ここに行く」と決めていれば、予定が成り立つのですが、そうではないし。それに、駅前の観光案内所のほうが詳しい。一人旅なら、インターネットもあるし、それで十分です(でも、いつもながら、今回も買ってしまいましたが・・・・)

R:僕が大学生に入学した1996年くらいから、サークルに入る人間も少なくなっていました。大学に何となく入学したって感じの人が多かったし、僕は文学部英米文学科なので、地味な人間が多かった。
 換言すれば、受け身な人間。でもそれは、男連中が多かった。女の子は、一人旅行というより、留学しちゃうんですよ。そもそも、英米文学科なんていたって、英語がしゃべれるようにはならない。
 もちろん、僕の大学の師匠的存在の先生は、音声学の権威でバリバリ通訳講座をやっていましたが、いかんせんキツイ授業。だから、自然に英語をマスターするために、女の子は一年留学したり、夏休みに短期留学してました。でも、そういうのは少数派で、僕のまわりには一人旅行するヤツっていなかったですね。
 最近では、自分探し目的にアジアとか行く人多いですよね。ただ、海外の一人旅で、インドは沖縄みたいに「何か自分が変わる」って思い込んで行くと、失望してしまう人が多いみたいですね。
 そもそも、旅って思わぬアクシデントが後に、良い思い出話になると思うんですよ。僕は、小学校のときの家族旅行でいつも父親の車が故障して、地元の修理工を探すのに苦労するのが通例で、当時は携帯電話なんかなかったから、山奥の家で電話を借りて、自動車修理工を呼んだりしていました。
 あと、渋井さんの出身の栃木は家族旅行でよく行きました。那須塩原温泉が多かったけど、初めての温泉は鬼怒川温泉でした。那須サファリパークも行きましたね。でも、あそこでミッション車だったから、ブレーキのかけ過ぎでクラッチの調子が悪くなって、危うくライオンのゾーンで立ち往生しかかってヒヤヒヤしてました。僕の中では、旅=家族旅行って原体験が強いですね。

S:私の大学生のころも、徐々にサークル離れは起きていて、希望の学部でない不本意入学も相当いました。だから、サークルに入るか入らないかで、大学内の人間関係はむしろ、以前よりも「島宇宙」的でした。私なんか、社会福祉のサークルだったので、他の関連サークルの人からは、社会学部の人と思われていましたからね。
 話をもどせば、旅をするかどうかは趣味の部分も大きいですね。私は今回、遠野物語の舞台になり、日本の民俗学の誕生の地・岩手県遠野市に行きましたが、これは旅をしたいと思ったときに、思いついたのです。また、青森県新郷村のキリストの墓は、ずっと前から一度は行きたかったんです。で、北に行こうと思ったわけです。
 各駅停車の旅はやっぱり疲れます。でも、方言が変わって行く様子を感じることができますし、面白いですよ。それに、旅をしながら、次回の旅は「こうしよう」「ここに行こう」とか思うわけです。きょう(4月1日)も、秋田から山形に南下中に、「奥の細道」を観光資源にしているところがあり、これもいいな、と思いました。文学や歴史に関連づける旅も好きなんですよね。
 なにはともあえ、旅をしていると、日常に戻りたくなくなる。ずっとそれで生きて行ければいいな、って思うんですが、そんなことはできませんよねえ。

(旅をしながらのメール交換)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月22日 (水)

ネット心中

ロブ(以下、R):今回は、ネット心中について話しましょうか。最新のデータとしては下記のようなものがありました。

 昨年1年間に、インターネットのサイトで知り合い一緒に自殺する「ネット自殺」は全国で34件(前年比15件増)発生し、91人(同36人増)が死亡したことが9日、警察庁のまとめで分かった。
 同庁が統計を取り始めた2003年(12件で34人が死亡)と比べ件数、死者数ともに約3倍に急増している。
 まとめによると、死者は男性54人、女性37人。年齢別では20代が38人で最も多く、30代が33人、40代が9人、10代が8人などの順。
 昨年2月には神奈川県三浦市の農道に駐車したワゴン車の中で男性3人、女性3人が練炭で集団自殺するなど、同年1−3月に20件(死者54人)が集中した。
(共同通信) - 2月9日

 この記事は数字だけ見ると、どんどんネット心中が増えている印象を与えますが、ネット集団自殺が初めて発生したとされるのが、2003年の埼玉県の入間市で起きた男性1人、女性2人のネットを介した集団自殺です。
 こういう記事を見ると、いかにも若者の自殺が増えているように思えるんですが、2005年の6月警察庁発表データでは、2004年の0歳から29歳までの自殺者数は、3836人、それに対して、40歳から59歳は12874人となっています。
 総数は32325人。自殺者数は、厚生労働省の発表と警察庁の発表者数が異なることが多い。でも、若者の自殺が増えているという事実はない。けれど、ネット集団自殺という言葉のイメージが若者の自殺者数増加という印象を強く与えているような気がするんです。

S:まず、厚生労働省と警視庁の自殺者数が違うのは、「自殺」の処理が違うからです。
 http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2740-2.html
 にもありますが、死体発見時に遺書がなく、死因が不明の場合、警察庁は、その後の調査で自殺とわかったらその時点で、統計上の数字になります。厚生労働省の場合は、「自殺以外」で処理。死亡診断書等について作成者からの訂正報告がないと統計に現れない。つまり、警察の調査によるか、医師の死亡診断書によるものかで、違いますね。
 さて、「ネット心中」という言葉はもともと2000年の、歯科医師とOLが自殺系サイトで知り合って、睡眠薬自殺をしたときに、読売新聞の見出しで使われました。いまの「ネット心中」は、ロブさんの言うように、2003年の入間市で起きたケース以降、模倣され、連鎖されたものを指します。
 「ネット心中」は、ほかにも「ネット自殺」と言われたりしますが、ネットを介した自殺という意味では、ドクターキリコ事件等のように、ネットで入手した薬物等によって死亡するケースと区別するために、私は使いません。芹沢俊介さんは「集合自殺」と言っていました。
 若者の自殺は急増はしていませんね。ある一定の自殺率を維持しています。たしかに女性に限ってみれば、03年の統計から、死因の一位が自殺というのは、「15〜34歳」までと、それまでの「20〜24歳」「25〜29歳」だけだった枠から広がっていますが。ただし、全体の数値としては「急増」というほどではないですね。手段の一位は相変わらず、「縊首」。首つりですね。ついで「ガス」になっています。
 それに、ネット心中は、若者だけではないですよね。昨年のデータでも、12人が40代以上です。

R:埼玉県熊谷市では、子どもと車の中で練炭を炊いて心中した事件もありましたよね。 「ネット心中」という言葉を産み出したのは、渋井さんの『ネット心中』だと思うんですが、元来、情死という意味合いの心中という言葉を、ネットを介した自殺に使った理由はなぜなんですか?


S:「ネット心中」は、昨年の新語・流行語大賞の候補作となりましたね。説明でも、「渋井哲也の著書」となっていました。でも、もともと「ネット心中」という言葉を産み出したのはマスコミですよ。「ネット心中」とか「ネット自殺」だとかを無自覚に、自然発生的に使っていました。
 私の場合も当初、最初は、「『心中相手募集』自殺事件」としていました(『創』 創出版 03年4月号)。しかし、その後、2人以上の人が同時に自殺するという辞書的には2番目の意味で使い続け、拙著「ネット心中」(NHK生活人新書)を出したことで、定着したんじゃないでしょうか。
 現在でもマスコミで使われることがある「ネット自殺」では、複数自殺の意味がない。また、集団自殺というほどの集団的意味付けもない。
英語圏のマスメディアにも、英語ではなんと呼べばよいか?と聞かれ、「double suicide」がよいのかと思ったんです。情死の意味が薄いですから。情死だと「lovers' suicide」ですからね。だから、「net - double suicide」としたいところですが、2人以上の場合もあるので、「net - group suicide」とせざるを得ませんでした。

R:英語圏では、情死という概念が理解しがたいものらしいですから。フランスなんかでも見ず知らずの人間が会って、自殺することなんかないし、出会い系サイトも、大勢で美術館に行くみたいな感じらしいです。日本で言えば、オフ会ですね。
 以前、渋井さんとお話ししたときに、僕が「感情の介在しない情報伝達のみのコミュニケーションがネット心中につながるのではないか」と言ったときに感情が介在しても、ネット心中は起きると言っていましたよね。
 その辺を、もう一度説明してくれませんか?

S:統計的な取材はしていないので、経験論になります。ネット心中のプロセスを考えると、1)自殺未遂の繰り返し、または発作的にネット心中を考える → 2)自殺系サイトのネットサーフィン → 3)「心中相手」を募集する。または応募する → 4)メンバーは偶然の選択 → 5)役割分担を決める → 6)メンバーとの打ち合わせ → 7)下見をする → 8)実行する、といった流れになっています。
 それぞれのところで、脱落者がでてきます。脱落する理由は、1>メールをするほどのエネルギーがなくなるほど鬱になる、2>自身の自殺願望が頂点に達して、一人で自殺への行動を起こす、3>メンバー内の好き嫌いが発生する、4>恐怖を感じる、などでしょう。また6)と7)と8)は別々の日ということもあれば、一緒の日にやってしまうこともあります。
 基本的には、すべてのメンバーが相手を「人間」ではなく、「自らが自殺するための道具」としての人間とみたときに、成功率が高くなります。そのため、原則的には感情を介在させないほうがネット心中は起きるのです。
 ネット心中を決めた人たちが、ネットで相手を決めてから、無感情にネット心中に向かうといったイメージもあるかもしれませんが、そのプロセスでは、やはり最後まで迷っている人もいます。
 その中でも、もっとも感情の介在があったほうが、よりネット心中へ近づく段階があります。それは、3)から4)にかけてのところで、お互いの悩みを形式的に話し、お互いが絶望感を抱いた場合は、よりネガティヴな感情が介在します。
 そして、社会心理学でいう過剰な自己関連づけ効果が起きることがあります。つまり、相手の一部の話を聞いて、自分と同一視するのです。「自分と同じなんだな」と。その場合は、相手を救うことは自分と同じように死ぬことなのだ、といった考えに導かれます。これは、リストカッターの話を聞いていて、これまでしていなかった人がリスカをしてしまう場合に似ています。
 ただ、その後もそうした自己関連づけが継続して、心の交流ができた場合は、悩みを打ち明けられる相手として考えるようになり、お互いの自殺を止め合うといった場合もあります。この当たりの段階になると、常に「自分も死にたい」でも、「相手は助けたい」、しかし「一緒に死んだ方がいいのか」などの感情がめまぐるしく変化することがあるといった証言もあります。

R:この自己関連づけってのは重要かも知れませんね。批判を覚悟で言うと、ネット心中に至ってしまう時の心理状況は、鬱だとは思いますが、それ以前に個人の資質として、他人の心の動きが読めないアスペルガー症候群的なものがあると思うんです。あくまで、アスペルガー「的」です。
 僕は自殺志願者を取材してて思うんですが、自殺行為を行う前の行動履歴などを聞いていると、視野が狭くなってる、視野狭窄状態になる以前も、かなり視野が狭すぎる。自分の気持ちをわかってくれない周囲に落胆しているけど、その前の自分の行動が、自己本位過ぎるときが多すぎると思うんです。
 もちろん、それを周囲がくみ取ってやるべき何だけど、それには限界があるでしょう? 原因を生育歴に起因させるのは簡単ですが、自殺に至る前の個人の資質、気質の問題は、 脳還元主義以外に見られない。自己関連づけの原因を多角的に分析しないと、ネット心中を減らすのは難しいんじゃないかと、最近、考えるようになったんです。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月15日 (水)

アイドルを語る

渋井(以下、S):ロブさんの処女作「リストカットシンドローム」で、最も気に入っているのが第3章の、精神科医・名越康文さんとの対話なんです。その中で、「女性の身体的意味づけ」について話していますよね。
 リストカットに女性が目立つ大きな理由として、自己愛を表現する媒体としての<身体>という視点を提供しています。手首を切る等の行為によって、<見られる身体>を操作して、自己愛を表現するといった発想でしょうか。
 そう考えると、アイドルも似ているのかなあと。アイドルって、まさに、メディアを通じて、自己愛を表現しているように思えます。特に、ポスト・松田聖子と言われていた岡田有希子が自殺するまでは、自己愛の表現としての<アイドル>がそこにいた。
 しかし、その自己愛は、アイドル自身が持っているもの、というよりは、時代が要求したもの。アイドルはその<箱>だったと思うんです。だからこそ、「アイドルはトイレも入らないんじゃないか?」(笑)と思うほど、自我を殺していたように思えます。だから、アイドルの恋愛ネタはタブーだったし、破局なんてものは今よりも極端に隠されていたように思えます。
 だからこそ、ニュースが流れると、衝撃を与えましたよね。松田聖子と郷ひろみが別れたとき、松田聖子が「今度産まれてきたら、一緒になろうね、と言いました」と、涙を流しながら記者会見したのは今でも記憶として残っています。

ロブ(以下、R):タモリが吉永小百合はウンコをしないと信じていた(いる?)みたいなものですよね。 自己愛というと、アメリカの精神分析の泰斗であるコフートが有名ですよね。名越先生は、カウンセリングの師匠がアドラー派なんですが、アドラーも自己愛という概念を大事にしたそうです。
 まあ、見られる身体を意識するというのは、精神医学的に言えば、離人症的、解離的と言えるでしょう。僕の言葉で言うと、幽体離脱的(笑)。
 そういう文脈で考えると、女性の身体性を操作する究極系がアイドルとも言えなくはないでしょうね。癒し系アイドルというカテゴリーのアイドルほど、ストレス感じているどうですから(笑)

S:アイドルといえば、私が最初に<アイドル>として好きになったのは、河合奈保子なんです。私が自分のお小遣いで最初に買ったレコードは、「ラブレター」という曲なんです。ロブさんは、アイドルは好きになりましたか?

R:いやあ。アイドルネタは大好きです(笑)。最初は、おにゃんこクラブですね。工藤静香にメチャクチャハマってコンサートに何回も行きました(爆)それ以外でも、チェキッ娘っていうグループが数年前にあったのですが、おにゃんこ的でハマりましたね。
 「BLT」という女性タレント雑誌も大好きですし、「サブラ」も。とにかく、電車男のアキバ系的な、擦れてない部分が好きなんでしょうね。自分でも、その辺は自己分析中なんで、「なんでしょうねにしておきます。」(笑)

S:おにゃんこクラブですか。「夕やけにゃんにゃん」発のアイドルグループですよね。素人の参加を積極的にしたり、作詞家の秋元康さんが顔出しするようになったり、まだ無名だったとんねるずをメジャーにさせていく番組として、当時は私も毎日のようにチェックしました。
 工藤静香ですか。おばさんキャラ好きなんですか?(笑)。それとも、歌唱力がよかったからなのですか?

R:あのくしゃくしゃになる笑顔が良かったんですよ。唄ってるときとのギャップがね(笑) 今は、なんかただの元ヤンママですけど((笑))

S:私は、現在はライターをしている新田恵利が一番好きでしたが、「冬のオペラグラス」をソロで出したとき、歌が下手だったなと思って、ファンを辞めました(爆)。その次はグループ内のユニット「うしろゆびさされ組」のゆうゆ(岩井由紀子)が好きでした。もうひとりの高井麻巳子は秋元さんと結婚しちゃって、うらやましかった。
 おにゃんこクラブの登場は、おそらく、素人が、芸能事務所を経て、トレーニングをつまなくても、芸能界に入れる!というムードを高めましたよね。その分、演出をする秋元さんの腕が試されるわけですが。いまでいえば、モーニング娘。のつんく♂の役割です。
 ちなみに、私は、おにゃんこ以前は、河合奈保子から、松田聖子、中森明菜菊池桃子といったアイドルを好きでしたね。菊池桃子は、アイドル雑誌「MOMOKO」創刊のイメージガールでしたね。CDを買った最初も、菊池桃子のベスト盤で、ファンクラブにも入ってしまうほどでしたよ(笑)。
 みんなそれぞれの「虚像」を売りにしていて、いまほどバラエティーにアイドルがでない時代ですから、「素(もしくは、素らしきもの)」に接するのは、芸能マスコミくらいでした。でも、見ても、不思議なこととに、アイドル像は崩れることはなかったですね(爆)。

R:菊池桃子は簿妙な線でしたね。ラ・ムーとかいうバンドも組んでいましたよね?一応、当時からミュージシャン志望の僕としては、アイドルであっても歌唱力は重要でした。
 だから、工藤静香は、作詞に中島みゆきを起用したりして、脱アイドルを目指してたように思います。でも、当時、秋元康の力は凄かったですよね。彼に気に入られること=アイドルみたいな公約みたいだった。
 つんくも彼に憧れていたのは間違いないと思いますよ。僕も、秋元康になりたくて、高校時代に彼の通信作詞講座やってましたから(笑)

S:そんな講座があったんですか・・・。
 季節的に、「卒業」シーズンですけど、卒業ソングはなんですか?私は中学卒業のころ(1985年)は、菊池桃子の「卒業(歌詞はここ)」ですね。好きな人と下校した風景を思い出しながら、4月になると、「都会」に行ってしまう。失恋していない別れの曲です。相手の生き方への憧れを持ち続けるのですね。
 同じ頃、斉藤由貴の「卒業(歌詞はここ)」もあったのですが、そっちは失恋へとつながる。そして、もうあえない、ってことを強調していますよね。全体として、菊池桃子の「卒業」のほうが好きですね。
 菊池桃子の「卒業」の作詞は秋元さんなんですよね。やはり、80年代のアイドルを支えたってことでしょう。斎藤由貴の「卒業」のほうが、松本隆。松田聖子の「制服」や「赤いスイトピー」を手がけた人ですね。恋愛論として、二人は対立していますよ。別れ=失恋なのか、ってことですが。

R:僕の卒業のテーマソングは、尾崎豊の卒業なんですけどね(笑)僕にとっての卒業ソングはチェキッ娘の「抱きしめて」かな。元LUNA SEAの河村隆一が作詞したアイドルソング(笑)SPEEDの「my graduation」も好きかな。
 だけど、80年代は「卒業」というと「別れ」と直結していて「切なさ」がキーワードでしたよね。そういう意味では、松本隆の方が哀愁の入り方という意味で言葉の切なさを感じる曲が多いですよね。
 中森明菜の「二人静『天河伝説殺人事件』より」なんかは狂気的な切なさです。
まあ、アイドルにも歌唱力があれば、顔はイマイチでもっていうのと、歌はイマイチでも、顔が良ければてのがありますよね。個人的には嫌いですが、後者の代表格は、松浦亜弥かな。

S:尾崎豊の「卒業」は、たしか、菊池桃子と斉藤由貴の「卒業」とほぼ同じ時期にリリースしています。私は、尾崎の「卒業」はしっくりこなかったんですよね。ひとつは、男っぽすぎるし、「素(もしくは素らしきもの)」を出しすぎていること。当時、アイドル好きの私には合いませんでした。
 そして、「闘いからの卒業」とか「支配からの卒業」ってのがよく意味がわかりませんでした。今ではイメージとしては分かりますが、卒業しても「闘い」や「支配」はつきまといますからね。
 ただ、自己愛という意味では、尾崎は見事に表現していました。自身の自己愛がファンを引きつけたことはたしかです。彼が亡くなったときは、護国寺で行われた葬儀にも行ったんですが、焼香にファンが何度も並ぶので、終わらないと判断したスタッフたちが、一般の焼香を取りやめましたよね。私はそのために焼香できなかったのを覚えています。
 岡田有希子の死、そして尾崎豊の死。アイドルという象徴は当時、なにかしらの「生きづらさ」を代弁することもあり得るのだ、といったことなんでしょうね。この二人の死は、それを表していたんだじゃないかな。
 そうした時代の後に、SPEEDの登場がある。安室奈美恵山田優を生み出した「ナンバーワンよりもオンリーワン」を目指す沖縄アクターズスクールが注目されるわけですね。「自己愛を「虚像」として表現するアイドル」、つくられたアイドルの時代が終わろうとしていたんじゃないかな。そして、次なる「自分に持っているものを表現できるアイドル」を必要とする時代への過度期がいま、ってことですかね?

R:倖田來未なんかはアイドルではないかも知れないけど、最近のアイドルの傾向を現していますかね。そういう意味では、浜崎あゆみは踏み台だった。だって、造られる自分に違和感を感じつつ、過去のアイドル然とした「虚像」を蹴った。まあ、逆に徹底して虚像化されたとも言えるでしょう。
 でも、だから、今になって自分の立ち位置が不明瞭になって、レコード会社は、自然体の倖田來未に乗り換えてるんじゃないでしょうか?尾崎みたいな自己愛の権化は、かっこ悪いと思われてるようですからね。
 だから、大物アイドルが出てこないというより、世間が欲していないのかも。
AKB48ってのは、アキバ系を狙った市場の小さいアイドルですしね。

S:浜崎あゆみは、自分自身で自分自身を「虚像」にした部分がありますよね。浜崎くるみとしてデビューした当時はまったく売れませんでしたけど、女優としてデビューしたころから今の名前になり、「A Song for XX」等の、いわゆる絶望三部作で、女子中高生の支持を受けました。受ける歌詞というのは、おそらく、最先端ではいけない。みんなが気がつかないから。だから、ちょっと最先端からひいている感覚のものがよかったんでしょうね。「居場所」という言葉も、以前からキーワードとしてありましたけど、このころの中高生にはぴったりだったんでしょうね。アイドル多様化、またはアイドルなき時代に、再びアイドルの可能性を見せてくれたことはたしかでしょうね。ただ、これだけ芸能マスコミもインターネットも「みている」なかで、セルフ・プロデュースとはいえ「虚像」であることの限界があったのかもしれないですね。バラエティでも耐えられる、つまり「虚像」を「素」として感じさせてくれるアイドルとして、モーニング娘。やあややが出てきて、倖田來未が出てきたのではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月 8日 (水)

ひきこもり・フリーター・ニート

ロブ(以下、R):少し話題を変えて、ひきこもり・フリーター・ニートに関して話しましょうか。まあ、この問題は様々な議論がされていて、どのくらいいるのかというデータも契約社員もフリーターと換算するという方法も取られています。厳密に言わなくても、我々はフリーランスですので、フリーターの定義に当てはまるでしょう(笑)

渋井(以下、S):私は36歳です。厚生労働省の定義では、フリーターは34歳までなので、私は、フリーターではないですねが(爆)

R:ひきこもりやニートを精神科の治療対象や強制的な自立支援に参加させる風潮には疑問を感じます。要するに、正社員になることが必ず幸せになるという日本的妄想が、若者を苦しめた結果として、ひきこもり・フリーター・ニートが出てきたとも言えるのではないでしょうか。
 ただ、ニートに関しては、命名者の玄田有史さんが、社会的慣習とかいう言葉で定義づけていて、この三つがいつも「100万人と推定される」と識者たちが言うのには疑問が残るんです。
 渋井さんは、この問題についてどうお考えですか?

S:最近、フリーター・ニート問題に関する共著(仮題『サイレントレボリューション〜ITによる脱ニート・脱フリーター』、4月頃出版予定)を書いていて思ったのですが、そもそも、定義上のニート、つまり、働く意思もなく、教育訓練も受けていない(学校に行っていない)34歳までの若者がどれくらいいるのだろうか、って。
 ニート状態にあっても、たとえば、精神疾患があって休んでいたり、ニートとフリーターを繰り返したりしています。あるいは、就労していなくても、不動産収入や株の配当で収入を得ている人もいる。だから、どれくらいのニート状態にある人が「ニート」と呼ばれるのか、分からなくなったんです。
 しかも、ニート問題を語る上で、ニートたちの個人的な資質、やる気などが問題になることもあります。でも、フリーターやニートを生み出したのは、産業構造の問題であるはずです。たしかに、正社員になることが幸せかどうかという問題もありますが、経営側は正社員を少なくして、安価な、しかも流動的な労働力としてのフリーターを必要としているわけですから。

R:確かに、フリーターという言葉が人口に膾炙したのは、バブル経済崩壊前後の1990年前後です。終身雇用制に反対している若者がフリーターとか、いい加減なことを言う人もいますが、むしろ雇用形態の多様性が日本にはなかったわけです。
 パラサイトシングルなんかもそうですが、2007年定年退職大量発生問題で騒がれる団塊の世代がお金を貯め込んでるのだから、その余剰で子どもが暮らしても何ら問題はないんです。
 こういうことを言うと、「こどもたちが自分で稼ぐことを覚えなかったら、親が死んだ後どうする」と反論されます。でも、日本の現状を考えると、民主党が掲げる、「フリーターでも社会保障を受けられる社会に」という変換が、一番有効なフリーター・ニート対策だと思います。日本は、フリーランサーに厳しいですからねぇ(笑)
 ただ、ニート・ひきこもりは、精神疾患の可能性もあるのでその判別をできる精神科医の育成、診断基準の作成が急務でしょう。ただ、精神科の診断基準の作成は個別性があって難しいとは思いますけどね。
 だから、社会の雇用多様性に集団ヒステリーが起こってるから、この問題が注目されてるだけのような気もします。
 

S:ただね、フリーター・ニート・ひきこもり。これらの問題を考えるとき、きちんと整理する必要があると思いますよ。一緒にすると、混乱しませんか?
 まず、フリーターは、なんらかの理由で正社員ではない状況ですよね。産業構造の変化そのものがフリーターを生み出しました。産業側から見れば、正社員だけでなく、派遣労働やアルバイトを必要とした面があります。労働力を安く確保するためですよね。そして、働く側からすれば、正社員として働くことが重視という人ばかりでなく、趣味重視という人も出てきた。働き方の多様化・個性化ですね。
 一方、ひきこもりの場合は、精神的な問題として浮上してきました。いわゆる、閉じこもりの状態になっている場合ですよね。そして、ひきこもりにも濃度があるとは思いますが、典型的なひきこもり状態の人がどれくらいいるのかは未知数ですよね。そして、そうした状態の人のうち、精神疾患が理由ではない人たちを、斎藤環さんは「社会的ひきこもり」と定義しました。
 そして、ニートですよね。いわゆる、若者の無業者のうち、失業者でも、フリーターでも、学生でもなく、働く意思がない人たちです。もともとはイギリスの若者就労政策からの概念が、いつの間にか、日本では、フリーターの定義と同じ「34歳まで」と枠が広げられた。
 違った概念にもかかわらず、なぜか、「フリーター・ニート・ひきこもり」として一緒に語られがちで、しかも、「ひきこもり・ニート支援」として、支援する業界を生み出しました。ここに、不登校なんかも入ってくる場合がありますね。
 こうして考えるとき、私は、ひきこもりとニートがなぜ一緒に支援を受けるのか、よくわからないですね。たしかに、かぶっている人もいるかもしれませんが、質が違う問題なのに、って思います。

R:そうですね。一応、フリーターは社会的接点を持っている人ですし、ひきこもりでも広義な意味では、週に一回数時間程度アルバイトをしている。ニートに関しては、『ニートって言うな!』で内藤朝雄さんが精神分析的な視点から分析していますが、確かに、精神科医の笠原 嘉さんが名付けた退却神経症の方が良いかもしれません。
 これはひきこもりの心性にも当てはまるので、心的世界の分類はやはり
難しいかも知れませんね。でも、確かに、渋井さんの言う「ひきこもりとニートがなぜ一緒に支援を受けるのか、よくわからない」というのは同感です。ニートは病気という意味合いはほとんどないですからね。親からすると、「怠け者」で一蹴されてしまう。
 ただ、処方箋として、軍役を課すなんて議論もありますが、韓国では、ひきこもりが増えてきているという報告を見ると、軍役制が現実的なこの問題への処方箋たり得ないと思うのです。
 ならば、もっと自由な職業形態の選択があるということを、義務教育のウチから教え込む方が良いのではないでしょうか。正社員になることが、幸せなんて妄想を後生大事に、20歳近くまで持ってる方が、逆に現状を悪化させるだけだし、ひきこもり・ニート・フリーター差別意識こそが、大量生産の元凶となると思うんす。

S:ニートは若者無業者であって、即、失業者ではない。だから、労働市場の問題とはまた別だと思うんですよ。ニートは、就職活動してないし、就労意識もない。しかし、失業者は、就職活動をしていて、就労意識もあるわけです。その失業者の周辺にフリーターがいますよね。
 それに、同じ『「ニート」って言うな!』の第一章を担当した本田由紀さんによれば、本場イギリスでの「NEET」は、16〜18歳といった、ごく狭い若者の労働問題だったはずです。しかも、貧困や低学歴、人種的なマイノリティ等の「社会的排除」と結びついていた、といいます。しかし、日本版の「ニート」では、なぜか34歳までと広げられ、社会参加のしていない若者層といったイメージで捉えられる。そして、厚生労働省もフリーターの定義の年齢と同じにする。
 そこで、フリーターとニートがあたかも同じような問題であるかのようにイメージされてきたんじゃないでしょうか。そうした背景の中に、自民党の新人・杉村太蔵議員が、あたかも「フリーター・ニート」の代表であるかのように宣伝される。そして、頑張れば何かができるんだと。彼の場合は、頑張ったのは小泉さんですが(笑)。
 ちなみに、彼はブログ(060221)で、
 「(来年度予算に) ニート対策、フリーター対策という名目で380億円という金が注ぎこまれている。380億、これ全部国民の皆様の税金ですからね。そんなに金をかけなくても僕たちは自分たちの力で仕事を見つけるし、現に国がわざわざ税金を使ってやらなくても、既存の民間企業が様々なセミナーや就職情報を提供してくれています。」
 と書いています。ニートやフリーター問題を、個人の問題として捉えすぎですよね。完全に、マッチングの問題にしてしまってる。たしかに、マッチングは、フリーターの問題のひとつとして重要ですが、それ以上でも、それ以下でもないですから。
 精神分析的な「ニート」論は、その本田さんからすれば、ニートの多様性のひとつにすぎません。同書でも展開しています。そして「学生」や「正社員」、「主婦」を、いわゆる社会的な「安定層」として、「フリーター」や「失業者=求職型」、「(働く意欲はあるが、今は求職活動をしていない)非求職型」の「不安定層」、「(今は働く必要もなく、予定もない)非希望型」と「働く意欲がない」の「不活発層」に分けています。その「働く意欲がない」若者の中に、「ひきこもり」や「犯罪親和性」がある若者がいる、としています。
 この本田さんの分類と、内田さんの分析を加えれば、たしかに、ニート(本田さんの言葉で言えば、「不活発層」)の中に、精神分析の文脈で考えられる人たちがいることになりますよね。


R:イギリスのニートなんですが、そんなに本国で騒がれてるわけではないんですよね。あの国こそ、今の階級社会の原型で生まれた家の階級を変えることはできません。何十億も稼ぐベッカムも、ナイトの称号をもらっても労働者階級です。
 だから、イギリスからニートの概念を引っ張り出してくることに無理があったはずなのに、なぜかすごくニートって言葉が一般化し問題化しているように見える。ただ、実際は、そんなに問題なのかどうかっていうニートによる個人意識の調査ってのは行われていませんよね。
 これは、ひきこもりも『ひきこもりカレンダー』の著者である勝山実くんみたいな存在もいるわけで、そういう当事者側から声を聞く姿勢が行政や国側にはないような気がします。もちろん、ヒアリングはしている。ただ、ヒアリングの目的は働く意欲を持たせることにあるから、敏感な人間は、本音を言いません。
 僕も取材で何人か、ニートやひきこもりの人と会いましたが、「結局、僕たちを国は強制労働させたいんでしょ」と言う。その辺の、当事者と国や行政の意識の乖離の差を少しでも埋めない限り、社会に少しは実りがあるという意識は持たせられないんだと思います。
 社会に出ることはどんな意味があるのか?お金を得るためには、汗水垂らして働かなければならないのか?という疑問を彼らから投げつけられたときに、即答できる答えが見つかりませんでした。それは、生きる意味はあるのか?という問いと同義で、答え無きものではないかと思うんです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年3月 1日 (水)

滋賀・園児殺害事件

ロブ(以下、R):2月17日に滋賀県長浜市で痛ましい園児殺害事件が起きました。

17日午前9時5分ごろ、滋賀県長浜市相撲町で「女児が道に倒れ、男児が溝に落ちている」と、女性の声で長浜署に通報があった。2人は、長浜市新庄寺町、会社員武友利光さん(29)の二女若奈ちゃん(5つ)と同市新庄寺町、会社員佐野正和さん(33)の長男迅ちゃん(5つ)で、それぞれ刃物のような物で体を数カ所刺されていた。近くの長浜赤十字病院に運ばれたが、2人とも死亡した。
 2人は市内の市立神照幼稚園の園児で、登園の途中だった。滋賀県警捜査一課と長浜署は捜査本部を同署に設置し、殺人の疑いで、同じ幼稚園に通う園児の母親の主婦谷口充恵容疑者(34)=同市新庄寺町=を逮捕した。

 捜査本部によると、緊急配備中の捜査員が午前11時ごろ、大津市真野普門3丁目の国道161号バイパス・真野インターチェンジ付近で、2人を預かって自分の長女(5つ)と一緒に車で園に送る予定だった谷口容疑者を発見した。車の中から凶器とみられる血の付いた包丁が見つかった。調べに対し、谷口容疑者は「子どもを刺した」と容疑を認めている、という。谷口容疑者の長女は保護された。

 捜査本部は、谷口容疑者の犯行の動機などを追及するとともに、若奈ちゃんと迅ちゃんの遺体を司法解剖して、死因などを詳しく調べる。

 神照幼稚園の関係者の話では、谷口容疑者は普段から近所に住む若奈ちゃんと迅ちゃんを自分の娘と一緒に車で幼稚園に送っていた、という。

 谷口容疑者の近くに住み、園児の送迎が同じ班の会社員谷村寛幸さん(32)は「4人の保護者で班をつくって、毎朝、順番に子どもたちを幼稚園に車で送っていた。きょうは、谷口さんが送迎する日だった。谷口さんは普通の人だと思っていたので、こんなことを起こすなんて、信じられない」と話していた。

 若奈ちゃんと迅ちゃんが倒れていた現場は、JR長浜駅の北約2キロの田園地帯で、工場や運送会社の営業所などが点在している。幼稚園と自宅からは、それぞれ約1・5キロ離れている。(2月17日・京都新聞)

 まず、この事件に関して渋井さんの意見をお聞きしたいんですが。

渋井(以下、S): このニュースを聞いた時に、「子どもが被害者」の事件として、大きく報道されるだろうと感じていたんです。それが友達の母親で、「集団登園」の絡みだった、ということになりましたよね。
 もし、これが匿名社会の問題だったら、たとえば、インターネットでの人間関係なら、「匿名社会は危険」といった論調になるんだろう。けど、実名社会の人間関係で、「実名社会は危険」「集団登園が危険」とならない。
 また、容疑者は中国人で、どうやら、日本人とのコミュニケーションが巧く行かなかった、との報道があります。もし事実なら、容疑者の個人的な資質もありますが、外国人とのコミュニケーションがうまくいかない地域社会といった問題もあるんでしょうね。でも、地域社会の閉鎖性を検証するような報道も今のところない。
 また、毎日新聞では、「精神不安定で通院入院歴も」(webではすぐに削除されましたが)との報道や現地での取材で、以前も、意味不明な行動をとっていた、との記事もありました。もしかすると、精神疾患の問題に還元されてしまうかも、って思いました。事件の本質とは別に、ニュースの作られ方をチェックしていました。

R:義母を殺そうという行動もクローズアップされて、余計に精神的に不安定だったことを強調されていたと思います。現在、精神鑑定も申請中ですしね。確かに、精神的不安定な部分はあったかもしれませんが、滋賀県の長浜は郊外です。
 それに、家族の形態も核家族。そんな中で子育てを独りでして、幼稚園とのお母さんとコミュニケーションを取らなくてはいけない。実際に、日本人同士の母親同士でも幼稚園のお母さん同士のコミュニケーションってのは難しいという人が多い。
 やはり、晩婚化も影響してか年齢層が多岐に渡っていて、ジェネレーションギャップを感じて仲の良いお母さんを見つけるのは難しいと相談を受けます。ましてや、今回の場合、言語の壁もあったようです。
 しかし、心配事に関しては幼稚園側に何回も相談していた。その時に、容疑者の精神状態を察して、児童相談所にも幼稚園側から連絡するべきだったと思うんです。
 そもそも、一昨年の奈良、昨年の広島、栃木幼女殺害事件を契機として、小さい子どもの命を守るために大人が付き添って、登園、帰園したりするようになった。幼稚園や保育園では入り口をオートロック化することも多くなったわけです。もしくは、子どもにGPS携帯を持たしたり。
 でも、僕が息子の送り迎えの時に思ったのは、オートロックでも親が保育園内で何かする可能性もあるし、GPS携帯も完全に子どもの位置を把握できるわけではありません。
 どこまでも、子ども以外の安全に関してもシステム的な盲点はいくらでもあるのが現状ではないでしょうか。もちろん、容疑者の育児ストレスなど様々な要因があると思いますが、セキュリティシステムが親の安心のためだけに使われている現状を考えると、類似事件がいつ起きてもおかしくないでしょう。

S:こうした事件が起きると、いつも精神鑑定が行われます。弁護側からすれば、事実認定で争うことはのぼない。責任能力の有無が争点として浮上せざるを得ないのでしょう。今回の精神鑑定がどのような結果になるかわかりません。
 しかし、精神疾患名が出されたときに、安易にその疾患が取り出される可能性がありますよね。疾患名が一人歩きしないような報道をしてほしいですね。
 こうした一人の親が送迎する集団登園や登校は、幼女殺害事件が相次いだことがきっかけでしょうか。そういえば、姪も小学校でそうした形になっていました。知らない人に連れ去れないという意味では、安心な形です。
 ただ、栃木の幼女殺害事件では、子どもと知り合いかのような報道も見られますが、そもそも事件が解決してない段階では、教訓さえ見えて来ない。奈良の幼女誘拐殺害事件では、GPS付き携帯を被害女児は持っていました。
 最近でも、子どもに携帯を持たせている親はいますが、緊急時の使い方を教えている人はどれくらいいるんでしょうか?知り合いに「子どもに110番のやり方を教えた?」と聞いてみたら、教えてませんでした。なんのための携帯なのかわかりません。
 それに、最近では、商店街に監視カメラを付けたり、コンビニのカメラも外側を向いていることがあります。監視して行けば、犯罪を抑止できると思っているようです。「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ」でも描かれていますが、たしかに、犯罪が起きたことはチェックできます。しかし、犯罪を止めることはできない。暗証番号を読み取るため、UFJ銀行に仕掛けた隠しカメラも、監視カメラ付きのATMで起きましたよね。

R:旧UFJ銀行の監視カメラ事件は、『ラジオライフ』読者なら、「そんなん、簡単にできるよ」というレベルの仕掛けです。
 また、ドコモのFOMAを代表とする第3世代携帯は、発信履歴から誰がどこにいたか特定できます。ただ、第二世代携帯を使えば、かなり位置情報の誤差が出てくる。第3世代携帯でも、携帯のアンテナの感度や気候状況によって、150m単位での誤差が出るそうです。だから、技術的には、GPS機能というのは不完全なものなんです。それに、子どもが電源を切っていれば位置情報はわからなくなる。
 アメリカの元性犯罪者にGPSを常時体に身に付けさせる州がありますが、これも再発防止にはならない。むしろ、心理的に追い詰めるだけ。性犯罪の加害者住居情報をネットで検索できるシステムも、地域住民の反対運動を加速化させ、同様に、更正より再犯実行に追いつめるというねじれが起きています。
 また、渋井さんの言うように、精神疾患でマスコミが片付ける可能性は高い。今回の事件も、容疑者の「心の闇」というマジックワードで、「ああ、私たちとは違う世界の人が起こした事件ね」という安心感を与えるだけ。精神疾患が問題ではなく、誰もが加害者、被害者になり得る可能性を惹起しなければならないと思うんですけどね。
 それと、対策を専門家がコメントしてもかなり編集されますし、対策は、その地域特性も加味されなければなりません。そういう意味では、こういう事件が起きたときに、全国レベルで地域ごとの対策会議を開くことを義務づけるくらいの法案があった方が良いような気がします。

S:子どもの地域での安全対策は、衆議院の「青少年問題に関する特別委員会」でも、議論されています。2月14日に、小宮信夫・立正大学文学部社会学科助教授は、犯罪が起きやすい場所を指摘しています。いわゆる、割れ窓理論等を紹介しています。誰にでも入りやすく、見えにくい場所で起きると。でも、そうした場所は、大人に監視されないという意味では、子どもの遊び場としても最適な場所です。「秘密基地」を作ったりしますよね。私もやりましたが(笑)。
 また、小宮氏は「大人を無視しなさい、大人を信用するな、人を見たら犯罪者と思え、こういう教育になってしまっているんですね。ところが、学校じゃ全く正反対の教育もしています。あいさつ運動とか、あるいは親切にしましょうと。知らない人にも親切にしましょうと教えているんですよね。そうすると、子供にとっては、無視すべきなのか、親切にすべきなのかわからなくて混乱してしまう」とも述べていますが、たしかに、子どもはどうしていいかわかりませんね。
 ただ、地域での安全教育で難しいのは、時として、不審者ではなく、地域の人が加害者になることがあることです。今回の滋賀・長浜市のケースもそうです。栃木のケースも、犯人が知り合いだった可能性が指摘されています。僧侶や警察官、教員、公務員、または親や兄弟姉妹といった人達が加害者だったりします。そうすると、子どもからすれば、誰を信じていいかわかりません。
 だから、地域で話し合うことは必要かと思いますが、こればかりは、話し合ったことで解決するものではないのではないか。かえって、地域で対策会議を義務化しても、なんらかの都合で出席できない人を「不審者」扱いしかねない。
 奈良県の幼女誘拐殺人事件後に出来た、「子どもを犯罪の被害から守る条例」は、問題点がすでに指摘されています。11条や12条は、「正当な理由」がない声かけが制限されています。別件逮捕の理由にもされかねません(この他にも、「児童ポルノ」の単純所持も禁止されていますが、児童ポルノの定義の曖昧さや単純所持の是非もそれほど話し合われた形跡はありません。この条例の問題点は、ARC代表の平野祐二さんも指摘しています)。
 それに、子どもが被害にあう犯罪がどの程度あって、危機感を抱いているのか。鹿児島県警のサイトにある「被害率でみる子どもの安全度合い」をみてみると、最近注目を浴びた滋賀県、栃木県、広島県、奈良県は、年によって増加することもありますが、それほど危険度が高いわけではありません。
 となると、危険な地域だから、注目されるような犯罪が起きる、といったことは言えないのではないか。あくまでも犯罪統計を元にしていますから、事件が認知されていないだけとの可能性もありますが。


R:警察の検挙件数と認知件数は、強姦事件が最たる例なように、大きな開きがあります。様々な被害にあった人たちが、世間体を気にして警察に行かないことも要因の一つでしょうし、犯罪の立件が難しい場合、拘留しても、証拠不十分の場合、「犯人も、反省してるから」などの説得で、被害者に起訴を断念させるケースもあります。
 それと、治安の善し悪しの地域格差は世界中どこにでもあります。だから、「なんで、こんな平和な街で、こんな残虐な事件が…」という思いに駆られる人が多い。そもそも、性善説を元に人間を判断するから、根拠無き安心にすがりたがるのではないでしょうか。
 これは、僕の性格的な問題ですが、個人的に人間性悪説を信じています。だから、人間を心の底から信じることはできないし、このような事件のときも、自己防衛説を唱えてコメントがカットされることも多々ありました(苦笑)

S:私は性善説でも、性悪説でもないのです。人の行動は、個人の資質と、その人をとりまく人間関係、時代の 変化、メディアの状況、教育などによって、決まってくるでしょうし。そして、どの行動を善として、悪とするかは、その人が所属する共同体の道徳や規範に よって変化するでしょうから。

R:犯罪も、自殺も根絶することはできません。しかし、減らすことはできます。そういう観点からの議論が行われない限り、再発防止力を強化できないないのではないでしょうか?
 また、逆の視点から考えると、集団保育や児童性愛指向者が必ずしも危険に結び付くという言説は慎むべきだと思います。集団保育によって助かっている親もたくさんいます。
 それは、自分が個人で送迎する保育園に息子を通わせている実感からもわかります。また、小児性愛指向者も、ネットの普及でネット内で欲求を処理してる人も多い。だから、陰と陽の両面から様々な議論が起こって欲しいと思っています。

S:たしかに、ロブさんの言うように、犯罪も自殺も減らすことができるかもしれません。ただ、そこで注意すべきは、減らすことと、生きづらさを感じる状況でなくすことはセットでないといけないだろうと。
 犯罪は統計上、減少している。統計上の誤差(つまり、発生と認知の誤差)が少ないと思われる「殺人」も減ってきて、殺人も戦争もないとなれば、世界で一番人を殺さない国になっている。これは、宮崎学さん、大谷昭宏さんの共著『殺人率』でも示されている。だから、殺人があると「目立つ」というのもあるでしょうね。しかし一方、自殺は増加傾向で、98年以降は3万人を超えている。殺人とは逆で、先進国では一番自殺する国なのです。
 話題がずれましたが、子どもの安全を地域で考える必要はあります。しかし、過度に考えすぎて、共同体の監視を強めても、かえって、共同体が窮屈になっていくので、生きづらくなるのではないか。子どもに、大人への不信感を強めず、かつ、CAPなどで行われている自己防衛のため力=エンパワメントをどのように養うか。いずれにせよ、一つの事件に過剰反応しないでほしいです。報道も、地域の人たちも。

(060228までの、メール交換にて)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »