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2006年2月15日 (水)

オウムの時代

渋井(以下、S):今回は、若干、「自傷」とは違った話をしましょう。オウム真理教(現、アーレフ)で揺れた、山梨県上九一色村が分村で消えてしまいますね。
 オウム真理教といえば、私が新聞記者時代、長野県木曽福島町(現在、木曽町)内の別荘に、公安調査庁が「介護班」と位置づけた施設があったんですよ。
 町は、ちょうど、町長選挙があって、「教団排除」を打ち出した共産党の候補者が勝ったんです。そのため、共産党の町長になってから、行政としてははじめて、町は立ち退きを求める訴訟を始めたんですよね。
 私は、木曽福島町の行政も担当していたんです。そのとき、担当の「総合調整室」室長に、「オウム信者には人権ないんですか?」とか質問したりもしてたんです。共産党は人権を大切にするんじゃないの?と。
 新聞記者を辞めた後も、木曽福島の件は気になっていて、「介護班」の施設に強制捜査が入ったときも、その後に月刊「創」の編集長や「人権110」の千代丸健二さんとともに、施設内に入って、関係者のインタビューをとりました。オウムのことは、フリーになって初めての仕事だから、思い出深いですね。
 ロブさんは、オウム真理教については、どのように感じていましたか?

R:僕は、オウムが起こしたサリン事件当時、19歳で一浪して大学受験したものの、全滅で死ぬか二浪目にチャレンジするかという極限の精神状態でした。
 今になって思いだしたんですけど、あの事件の新聞記事を、実家に二カ月分くらいファイリングしてあるんです。どうしてそんなことしてたのかよくわからなかったんですけど、森達也監督のオウム真理教のドキュメンタリー映画『A』『A2』を見て、「自分は、オウム信者に共感してたんだな」とようやくわかりました。何か、「全部壊しちゃえ」みたいな感覚は、それ以前からもあったのですが、あの事件で自分の中の不透明な心理状態がどんどん噴出してきた感はありました。
 こういうこと言うと不謹慎だと思われるかも知れませんが、2001年にアメリカで起きた同時多発テロのときも、「ああ、もっと壊してしまえ!」みたいな感覚でウキウキしてしまうんです。その感覚を整理してくれたのが、宮台真司さんの『終わりなき日常を生きろ』でしたね。
 処方箋にはならなかったけど、自分たちの世代がどこまで底抜けの感覚を持っているか再確認しましたから。そういう意味では、僕の人生の中でもメルクマークと言えるような存在が、サリン事件という存在でした。 


S:1994年の松本サリン事件のとき、私は新聞記者で、松本市の南・塩尻市に住んでいました。私は木曽支局の所属だったので、直接取材することはありませんでした。ただ、松本市にもネットワークがあったので、情報収集をしていました。「近く、県議会議員選挙があるので、ある候補者が対立候補者の家の近くで何かを撒いた」との情報までありました。
 しかし、第一通報者・河野義行さんへの犯人視報道に納得がいなかかったので、松本市内で、第一通報者の犯人視に抗議する市民集会に個人の立場で出席したこともあります。当時、所属していた「人権と報道連絡会」も共催だったような記憶がありますし、「週刊金曜日」の読者会つながりで知り合った人たちも、集会に来ていました。
 そこで、当時のTBSの下村健一さんとお会いしたりしました。下村さんとは、2004年の男女七人ネット心中発生の時、再び、お会いします。こっちが取材される立場ですが(笑)。
 95年の地下鉄サリン事件で、河野さんの疑惑がなくなっていくわけですが、そのときは、取材中で、ある村の総務課長と話していました。そのとき、テレビでニュース速報が流れたのを覚えています。
 その後、報道が、河野さん犯人視から、オウム真理教犯人視へと変化します。しかし、ずっと違和感がありました。犯人視の矛先が変っただけではないか?と。そうした疑問がある中で、河野さんをインタビューするチャンスが訪れます。
 河野さんが木曽福島町(現在の木曽町)の木曽高校に講演をしにきたときに、時間をつくってくれました。私はインタビューのとき、犯人視報道をした報道機関に所属する者として、個人的に「おわび」をしました。
 ただ、河野さんは言いました。「私を犯人にしようとしたのも報道だが、疑惑を晴らしたのも報道だった」と。そして、「判決が出るまで、犯人がオウムかどうかもわからない」と。私は複雑でしたね。


R:河野さんの報道は、酷かったですよね。特にテレビの報道を僕は見ていたのですが、 テレビ朝日のニュースステーションは、見切り発車みたいな形で、河野さんを犯人だと 断定するような報道をしていた。
僕も、「河野さんって人が、サリンの実験してたんだ」と 思い込んでいました。ただ、得体の知れないオウム真理教の人間たちの心性が自分と似通ってるなんて、松本サリン事件ではわからなかった。 


S:オウム真理教の主要メンバーは、私よりも若干、上の年齢の人たちでした。私がその存在を知るのは、大学一年のときです。同じサークルの人がオウム真理教の信者で、誘われたりしました。当時、大川隆法などの新興宗教が社会問題となっていたときでした。たしか、「麻原彰晃研究会」がサークルにあったような。
 で、同じサークルの彼と、よく議論しました。彼は「修行すれば何でもできる」といつも言ってました。彼の望みは「空を飛びたい」。文化祭で発行するサークルの刊行物があるんですが、そこにもその思いが書いてありました。
 彼は、オウムに入れば、「こんなことができる」「あんなことができる」ということを言っていたので、「ここでやってみろよ」と他の友人とも言ったんです。すると、彼は「いまは修行中だからできない」を繰り返しました。
 しばらくすると、オウム真理教が「真理党」を結成して、1990年の衆議院選挙に出馬します。候補者の名前が、ホーリーネーム(出家名)だったので、当時、話題になりましたよね。面白くて・・・(苦笑。しかし、一議席も獲得できませんでした。このあとだったと思うのですが、同じサークルの彼が、行方不明になるのです。
 のちに、大学卒業後、イギリスに遊びに行く時に成田空港で買ったスポーツ新聞に、オウム・シスターズのひとりとともに逮捕、との記事が載っていました。記事には「建設省幹部」とあったので、出世したな、と思う反面、マンションの駐車場に無断で侵入した「非建造物侵入罪」が罪状だったので、「オウムなんら、なんでもありか」と思ったことを記憶しています。
 私は1969年生まれですから、いわゆるノストラダムスの大予言の世紀末・1999年のときはちょうど30歳になります。「30歳」の意味はないですが、なぜか、世紀末を意識させる区切りとして頭の中にありました。世紀末思想を信じていたわけではないですが、なぜか区切りの意識が潜在的にあったんじゃないかとは思います。
 しかし、何かをやってあげようと新興宗教に入るほどのエネルギーは私にはありませんでしたし、どこかの政党に入って、政治改革や革命を思考しようとするほど、信頼おける政党やセクトがあったわけでもない。かといって、市民運動もそれほど成熟していない。その「区切り」に向けて、なにかうずうずしたものがありながらも、何もできないでいました。
 ただ、私は、ロブさんが言うような「全部、壊してしまえ」という発想はなかったですね。「エヴァ」のシンジ君で言えば、「みんな、死んじゃえ」ですかね?(爆)。そこまで言語化されなかった。
 私は98年に新聞社を辞めるのですが、それは衝動でした。「どうにでもなれ」的な。それは、たしかに時代的な行き詰まり感もありました。それと同時に、このまま長野県にずっといるのか?と思うと、急に不安になったんです。
 長野県という地理的な意味でも不安もありますが、それよりも、ここが私にとって最良の地ではないと思っていて、「ずっとここにいる」といった感覚がいやだったのかもしれないですね。

R:サリン事件後に、オウム真理教元幹部の上佑氏がテレビに頻繁に登場し、「ああ、言えば上佑」なんて言葉も生まれました。マスコミは、彼のディベート術を賞賛するだけでなかなか手出しできなかった。
でも、彼が事件に関与していたことがわかると急に手のひらを返したように、オウム真理教を責めだした。そういうマスコミ全体の急激な態度の変化に、何の疑問も持たない日本人はなんだろうなとも考えました。
 ライブドア事件を、サリン事件にたとえる人もいます。確かに、ライブドアの構造は、事件当時のオウム真理教に似ているかも知れません。ライブドアは、日本の保守的な株式市場からはみ出した個人投資家の欲望に適合した企業として特異な発達を遂げた。
 オウムが1990年代前半の脱社会的欲望を集めたように、ライブドアは2000年代前半の脱社会的欲望を集めた。そして、オウムもライブドアもそこからの革命を夢見た。麻原が選挙に出て失敗したように、堀江も選挙に出て失敗した。麻原も堀江も一部知識人に支持された。
 ただ、マスコミの体質も何も変わってないことを露呈した気がするんです。

(060220、メール交換にて)

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