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2006年1月26日 (木)

出会い

渋井(以下、S):ロブさんとは98年ごろ、出会いましたよね。あのときは、まだライターを名乗ったばかりだったよね。私は不思議だったんですよ。
 大学生でライターをするのはそれほど珍しくはないんだろうけど、発表媒体もそれほど決まっているわけでもないのに、あの当時は、ネタになるかどうかわからない自傷行為を取材しているんだから。取材というよりは、なにか「自分探し」でもするかのうような、不思議な感覚があるのかな?って思ってたんです。
 それで、そのうち、自傷行為をする人のルポを「バースト」(コアマガジン)で発表しましたよね。私は当時、まだ「生きづらさ」をテーマに取材を始めたばかりで、自傷行為や精神医学などの分野はまだ「生きづらさ」とどう関連するはあまり見えなかった時期だったんですよ。

ロブ(以下、R): 当時は、今一生さんというライターさんにそそのかされて、精神病院の夏祭りに誘われ、その打ち上げで自傷する人が思ったよりも身近にいたことに驚きました。摂食障害とか本で読んでる人のオンパレードで(嗤)。
 その当時は、今の奥さんが手首を切った後に落ち着きを覚えるってのが、よくわからなくて、それを自分で調べていくうちに、「バースト」で書くことになったんです。でも、当時は僕もこんなに自傷、リストカットを調べていくことになるとは思ってなかった。
 もちろん、自分探しみたいなのはしてなかったと言えば嘘になる。「多くの心の病の人と接することによって、何かが変わるんじゃないかな」、「そんなに、リストカットすると落ち着く人がいるのか」とか思ってました。
 そうやって、取材してるウチにいつか自分の社会的ポジションが明確に見えてくると勝手に思いこんでいたんです。 だから、自分でもリストカットしたり、精神科受診したり、体を張った試行錯誤の毎日でしたね。
 渋井さんは、ご存じですが、僕は渋谷の暴れん坊だった。そのときに、自己不全感をどんどん膨らませて、ドラッグで、自己基底欠損感を埋め合わせてた。それの仕上げをしようとしてたんだと思います。
 そんなときに、渋井さんがいて、飲み会なんかで、筋肉動かしたりしてる人が「生きづらさ」を取材するってかなり「?」感じだったんですけど…。

S:筋肉動かしてる人って誰ですか?(笑)。筋肉動かしてる人と、「生きづらさ」の関係って、変なの?運動とか鍛えている人は「生きづらさ」とは関係ないと思っていたってことかな?私が小学校の頃から野球やっていたけど、(あの当時は自覚はしてないが)「生きづらさ」は感じていましたよ。体育会系の人は、「生きづらさ」を感じないと思っていたの?

R: あの当時は、マッチョ系は生きづらさなんて感じるはずないと思っていましたよ(微笑)。

S:そういえば、飲み会のとき、右腕の筋肉を動かしていましてね、私は(爆)。

R:胸の筋肉も動かしてましたよねえ。それに、新聞社を辞めてライターを始めるなんて、あの頃の僕からしてみれば羨ましいって感じだった。自分の生きる道を通ってるんだなって思ってました。でも、なんで新聞社を辞めてまでライターを目指したんですか?

S:新聞社を辞めたのは衝動ですね、「もうこれ以上はいたくない」と単純に思ったんです。なぜそのとき「いたくない」と思ったか、明確な根拠はないんですよ、実は。辞めた後に、人に聞かれて、いろいろ理由を考えるようになり、話したりもしました。でも、それは後付けに過ぎません。
 新聞社を辞めて、ライターをやるというのは、たしかに、ある意味、安定生活を放り投げる感じですよね。ただ、所属していた会社は、同業他社に移籍する先輩たちも多かったし、辞めること自体はそれほど悩みませんでした。
 しかし、フリーランスになる人は少なかったんですね。たとえば、同じ木曽支局にいて、隣の席だった、写真家の小林キユウさんは、最初からフリーランスを目指しましたね。私の場合は、辞めた後のことをあまり考えてませんでした。マスコミに特にこだわったわけではないんです。
 食べていかなければならないとは思ったので、とりあえず、新聞社時代から付き合いのあった「週刊金曜日」に書いたり、新たに営業して、「月刊 創」に、オウム真理教について書いたりしましたね(これが「ドキュメント オウム真理教」というムックになっています)。
 いい仕事があれば、いまでもそっちにいきたいとは思っています。そういう意味では、永遠に求職活動をしている感じではありますねえ。だから、大学院に進むわけですが、就職という意味では、縁遠いかもしれないですが、教育学を専攻してしまう。ますます安定生活からは遠くなりましたね。

R:当時から「生きづらさ」をキーワードにライター活動をしようと思っていたのですか?

S:「生きづらさ」をテーマにしたのは、99年に「ワニの穴17 隣の病人読本」(ワニマガジン)というムックが発売されるわけですが、その中の「ダイエット中毒」に関して執筆したことがきっかけですね。摂食障害の人たちを取材した記事です。
 もともと、そのムックの編集者Iとどうつながったのかといえば、あるライターの人がメーリングリストを作っていて(いまはもうないですが)、私も営業活動のつもりで参加していました。そこで、「誰か、編集者を紹介してほしい」と書いたら、ある人がそのムックの編集者Hを紹介してくれたわけです。その編集者は、現在の「実話GON ナックルズ」(ミリオン出版)の編集長になっています。その編集者の元に、最初の記事を書いたのが、「ワニの穴14 東京ダークサイド」です。その中で、ロシアンパブで働く人たちを取材しました。
 そのときのカメラマンが偶然にも、同じ新聞社にかつて所属していた、駒村吉重さんだったわけですが(笑)。駒村さんは、辞めた後、同業他社にもいかず、すぐにフリーライターになったわけでもない人で、ある意味、私に近くて、結果的にフリーライターになった人でした。
 ただ、そのロシアンパブで働く人たちにも、国境を越えた中での「生きづらさ」を薄々感じてはいました。ただ、「生きづらさ」というキーワードはまだ出てきません。
 「ワニの穴14」の編集者Hが、「ワニの穴17」の編集者Iを紹介してくれるわけですが、「ダイエット中毒」に関して、それほど知識もないし、人脈もない時代でした。そのため、探す手段として、安易ですが(笑)、インターネットで探したわけです。
 なぜインターネットを使ったかといえば、当時、私はすでに自分のサイトを開設していて、悩みを告白するメールは届いていました。だから、悩み等をインターネットで綴る人の存在は知っていたんです。
 すると、摂食障害の人が同じような人たちと集い、悩みを告白し、癒し合っている自助グループ的な掲示板があり、その掲示板を通じて、何人か取材ができたのです。その取材をすすめる中で、ある女性が「生きづらさ」という単語を出したんです。
 そのときに、ロシアンパブの女性に対して考えていたものと共通項があったんです。そればかりではなく、これまでインターネットを通じて交流してきた、悩み多き人たちともつながった。さらに、漠然とした不安感を抱きながら思春期を過ごしてきた私自身とも関連性があると思ったんです。そこで、当時、「〜系」とするのが一つの流行
のようなものだったので、「生きづらさ系」としてみたわけです。

R:確かに、1999年頃は、インターネットが普及し始めて、サブカルのジャンルを中心に細分化が進み、何かをカテゴライズするために、「~系」ってのが流行っていましたね。メンヘル系だと、ドクターキリコ事件で「自殺系」とか。まあ、「渋谷系」がこの分類を人口に膾炙にした先駆けでしょうけど。
 あと、我々はどうも、「自傷系」、「自殺系」というメンタルな問題を追い続けるライターと認識されてるけど、自分たちは、そんな意識を持ってこの稼業を始めたわけではないんですよね。

(於:060125 新宿中村屋で、シーフードカレーとオムライスを食べながら、つづく)

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2006年1月25日 (水)

はじめまして

 はじめまして。フリーライターの渋井哲也です。このたび、私の提案により、「リストカットシンドローム」等を執筆したフリーライター、ロブ@大月氏との対談をブログ上で展開することになりました。二人は98年に知り合って以降、幾度となく交流をし、情報交換を重ねてきました。扱うテーマは一緒の場合もありますが、お互いのキャラクターや立場が異なるために、見方も異なる部分もあります。対談はこれまでもしたことがありますが、まとまった形で発表する機会はありませんでした。そこで今回、このブログを使って、どんどん発表していこうと思っています。

どうも、ロブ@大月です。まあ、この対談ブログタイトルは謎に思っている方が多いと思っていますが、最終的には二人の思いつきです。意味はないです。今まで、著作等ではあまり語りたくても、語られなかったこと、時事的ネタを対談という形で発信していけたらおもろくなるかなと思っております。どうぞ、ご贔屓の程よろしゅう(微笑)

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